地方私鉄有数の総延長100kmを越える鉄道路線網を誇る富山地方鉄道は、富山市を中心に広くバス路線網も展開する。北陸新幹線の開業に路面電車ネットワークの再構築など、公共交通の充実が進む富山のバスの、平成初期の姿を振り返ってみたい。
(記事の内容は、2022年9月現在のものです)
文・写真/石鎚 翼
※2022年9月発売《バスマガジンvol.115》『平成初期のバスを振り返る』より
■路線車は3メーカー体制だった平成初期 富士重工製と呉羽製ボディ車をラインナップ
富山地方鉄道のバス事業は戦時統合によってかつては富山県全域に及んでいた。現在の加越能鉄道は1950(昭和25)年に富山地方鉄道などが出資して設立した事業者で、その路線も富山地方鉄道が譲渡したものが中心である。
現在、バス事業の拠点は富山市内(富山・西部・八尾)と、黒部の各自動車営業所に集約されたものの、かつては魚津、上市、小杉などにも拠点を有していた。
平成初期の一般路線バス車両はいすゞ製を除く国内3メーカーを採用しており、日野製・日産ディーゼル製はともに富士重工製ボディを架装していた。三菱車については、地元の富山に工場を置いている呉羽自動車工業(現在の三菱自動車バス製造)製の車体を標準としていた。
原則として純正の日野車体製のみを架装した日野の中型バスRJ系にも富士重工製車体を採用し、全国でも珍しい架装事例として知られていた。低床化・中古バス導入以前は前後ドアが標準であった。
一般路線バスの塗装はかつて日野のカタログカラーだった、いわゆるブルーリボン塗装に類似したもので、現在のナックル塗装は1996(平成8)年から採用され、旧塗装から変更を受けた車両もあった。
1997(平成9)年からは老朽車の取替に中古バスが導入され、導入初期は西武バスからまとまった数が転入した。貸切バスではフラッグシップとしてボルボ・アステローペが導入され、後年高速バスに転用される車両もあった。
バス事業は一時期富山地鉄中央バスを設立し、一部路線の移管をおこなったが、その後系列の富山観光バスを合併するなどしたうえで、現在は再び富山地方鉄道に統合され、一社体制に戻っている。
昭和後期から始まる高速バスブームでは、東京線、大阪線を相次いで開業させ、初の長距離高速バスとなった東京線では日産ディーゼル製3軸スーパーハイデッカーが専用車として用意された。これは当時の関越道高速バスの標準的な車両で、共同運行相手の西武バスをはじめ、各社が導入した車種である。
なお、現在運行されている新潟線や金沢線など比較的近距離の昼行高速バスはいずれも2000年代に開業したものである。
富山地方鉄道は、鉄道、路面電車、バスと多岐にわたり富山の交通を支えており、今後もこれら各交通モードの相乗効果を活かしながら県民の足として親しまれていくことを期待したい。
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