1980年代から始まった日産の「901運動」。R32スカイラインGT-Rを筆頭に、今の日産からすれば考えられないほどの名車ラインナップを誇っていた。なぜこれほどまでに当時の日産車が魅力的だったのかを振り返ってみたい。
文/ベストカーWeb編集部・渡邊龍生、写真/日産、ベストカー編集部
■憧れの車種ラインナップで構成されていた“あの当時”の日産
何しろ、きらめかんばかりの車種ラインナップだったあの頃の日産。それが、かの「901運動」で誕生した日産車たちだった。
そもそも901運動とは何だったのだろうか。1980年代の日産が1990年代までに技術の世界一を目指すことを目標に、クルマ作りに取り組んだ運動のことでほかにも901活動などとも呼ばれる。
1980年代に入り、国内シェアがそれまでの25%から20%を切るまでになっていた日産は危機感をおぼえ、そこから1990年代までの開発モデルすべてについてシャシー、エンジン、サスペンション、ハンドリング性能に加えてエクステリアデザインなどあらゆる分野でのクォリティアップを図った。これが901運動だった。
1980年代後半から1990年代前半にかけて登場した7代目Y31セドリック&8代目Y31グロリアや8代目Y32セドリック&9代目Y32グロリア、2代目サファリ、初代シーマ、2代目レパード、8代目U12ブルーバード、7代目B13サニー、初代セフィーロ、6代目C33ローレル、3代目マキシマ……。
圧巻だったのはスポーツ系。R32スカイライン&スカイラインGT-Rを筆頭に、4代目Z32フェアレディZ、5代目S13シルビア&180SX、初代P10プリメーラなどなど、名前を列挙していくだけでもゾクゾクしてしまいそうな、当時のクルマ好き垂涎の車種ラインナップだった。
■個人的にはR32スカイラインクーペGTS-tタイプMが最も響いた
このラインナップ、コンパクトカーからセダン、サルーン、クーペが中心だったのだが、どれを選んでも満足できそうなほど個性派がそろっていた。
ちょうどこの頃に大学生だった私が個人的に気になっていたのは、何といってもR32スカイライン。ケンメリ以来16年ぶりの復活が大注目を浴びたGT-Rももちろんだったけど、特にクーペGTS-tタイプMのカッコよさには痺れまくったものだ。
R32クーペGTS-tタイプMは、GT-Rのようなブリスターフェンダーではない5ナンバーサイズのノッチバッククーペボディに、歴代モデルで最高に引き締まったエクステリアデザインが控えめな感じもして「この世にこんなカッコいいクルマがあるのか!」と個人的にも思っていた。
ただ、カネのない当時大学生の自分には新車のGTS-tタイプM(前期型の5MT車で新車価格238万5000円)はまさに高嶺の花。最初のマイカーだったAE92トレノ購入からコツコツと貯金し、それから5年後に愛車として中古のR32タイプM(後期型の1992年式、純正フルエアロ付き)を手に入れることになったのだが。
コメント
コメントの使い方RDはディーゼルエンジンの型式です。
直6ガソリンエンジンはRBです。
似ていて間違うのは素人ライターさんでしょうか。
最近思うのは、ネット記事は本当に誤字が多いこと。
たぶん紙媒体の時代と比べて、ライターさんの質が激落ちなんでしょうね。