平成元年、1989年の5月にアメリカでマツダ ロードスターが発売されてから2019年5月でちょうど30年の節目を迎える。
発売当初は絶滅の危機にあったオープンカーながら、ギネス記録を樹立するほどの空前の大ヒット車となり、世界の自動車メーカーにも多大な影響を与えた。一時代を生き抜いたロードスターは、現在4世代目のモデルに突入している。
時代に挑み、一時代を作った国産オープンカーは、また新たな時代への挑戦を始めようとしている。
文:片岡英明、写真:編集部、MAZDA
新時代とともに現れた初代ロードスターの意義と魅力
1980年代、アメリカを中心に安全基準が大幅に強化された。そのため絶滅の危機に瀕したのがオープンカーで、このマーケットに果敢に挑んだのが、ユーノスブランドの主役を任されたマツダのロードスターだ。
前輪駆動のFF車が全盛の時代に、後輪駆動のFR方式を採用し、軽量コンパクト設計も貫いた。50対50の前後重量バランスと慣性モーメントの低減によって「人馬一体」の気持ちいい走りを掲げたのがロードスターである。鮮烈なデビューを飾ったのは年号が平成に変わった1989年の夏だ。
ボディはモノコック構造だが、駆動系の周囲にはパワープラントフレームを採用し、オープンカーの弱点である剛性を高めた。
また、軽快なハンドリングを実現するために四輪にダブルウイッシュボーンのサスペンションを配している。
940kgの軽量ボディと相まってクルマがヒラリと向きを変え、意のままの楽しい走りを楽しむことができる。これが最大の魅力だ。
エンジンはB6型と呼ぶ1597ccの直列4気筒DOHCで、レギュラーガソリン仕様とした。トランスミッションは5速MTだけの設定だったが、1990年2月に4速ATを追加している。
そして、1993年夏の改良で1839ccエンジン(BP-ZE型)に換装し、余裕ある走りを手に入れた。最終型では再び1600シリーズが復活し、魅力を広げている。ロードスターのロゴエンブレムの色は、最初は黒で、排気量を1.8Lにしたモデルは赤、シリーズ2はグリーンだった。
大ヒットの初代から2代目へ! 歴代初のクーペも発売
キュートなデザインに、スポーツカーのアイコンでもあるリトラクタブル・ヘッドライトを組み合わせたNA型ロードスターは、ボトムが170万円台だった。買いやすい価格設定だったこともあり、爆発的なヒット作となっている。
また、M2からはファインチューニングを施し、外観に手を加えたコンプリートカー、「M2 1001」と「M2 1002」、そしてハードトップを被せた「M2 1028」も限定300台で登場し、好評を博した。
これ以外にも特別仕様車が数多く登場している。NA型ロードスターは8年間に43万台以上の生産を誇り、ギネス記録を達成した。欧米の自動車メーカーの車作りにも大きな影響を与えた名スポーツカー、それが初代のNA型ロードスターだ。
1998年1月、ロードスターは初めてのモデルチェンジを断行し、NB型になった。人馬一体の基本コンセプトは初代と変わらない。クラス、ボディサイズ、価格を守ることを前提に、性能を使い切れる楽しさを徹底的に追及したのが2代目のロードスターである。
大成功した初代の財産を受け継ぎながら実用性を高め、トランクの容量も増やした。また、ハイテクを使うことは意識して避けている。
エクステリアは初代の流れをくむデザインだ。が、ヘッドライトは固定式になっている。ソフトトップのウインドウ部分もビニールからガラス製にして後方視界と耐久性を向上させた。インテリアでは運転席と助手席にSRSエアバッグを標準装備したことが目をひく。
フロントミッドシップに搭載されるエンジンは初代の改良型。1597ccの直列4気筒DOHC(B6-ZE型)には5速MTと4速ATを組み合わせた。1839ccエンジン(BP-ZE型)はスポーティな楽しさを強く打ち出し、6速MTだけの設定とした。
また、2003年10月にはマツダの子会社、マツダE&T社がクローズドボディの「ロードスタークーペ」を受注生産の形で限定発売。3タイプ4モデルが用意され、ベースモデルの価格は235万円だった。
この直後の12月にはロードスターターボが限定発売されている。そして2004年3月には累計生産70万台の偉業を達成。再びギネス記録を塗り替えた。
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