ケンメリや330セドリックが普通に走っていた頃。都内の風景46年の歳月で、変わった? 意外と変わらない!? 【都内今昔物語】

ケンメリや330セドリックが普通に走っていた頃。都内の風景46年の歳月で、変わった? 意外と変わらない!? 【都内今昔物語】

 1977年末から1978年初頭にかけて、都電荒川線が旧来の車掌乗務の「ツーマン運行」から、運転士だけの「ワンマン運転」に切り替わるための移行期間だった。

 現在も都内に唯一残る都電路線「荒川線」。その大きな転換点を記録しようと、当時中学2年生だったベストカー編集委員梅木は、荒川線の走る都内の風景を写真に収めていた。

 46年前の写真を改めて見ると、当時の都内の風景とともに、街を行く、当時のクルマたちの姿が写っていた。当時の都内は、どんな風景だったのか?

写真:文/梅木智晴(ベストカー編集委員)

スカイラインがケンメリからジャパンにモデルチェンジ。日本車にターボ車はまだなかった時代

 1977年といえば、スカイラインが4代目C110型、いわゆる「ケンメリ」から5代目C210型「ジャパン」にモデルチェンジした年だ。クラウンは5代目S80系の時代で、セドリックは4代目330型だった。日本車に市販ターボ車はまだなく、サバンナはRX-7デビュー前夜で、「RX-3」が現役だった。

 うーん、やっぱり大昔だなぁ~と思いつつも、中2の自分を振り返ると、「そんなに昔じゃあないじゃん!?」なんて感じたりもする。いや、間違いなく大昔なんだけど。

 テレビじゃあドリフが全盛期で漫才ブームはまだ来ていない。一番最初の金八先生が始まるのはこの翌年度、私が中学3年生になった年だ。

 都電荒川線は荒川区の三ノ輪橋を起点に、千代田線や京成線の通る町屋駅を経て、JR王子駅を経由して明治通りの上を飛鳥山公園を左手に見つつ走り、さらに南西に進路をとりながら北区~豊島区を抜けて、山手線大塚駅を経由して新宿区の早稲田に至る路線。早稲田電停手前の面影橋、学習院下、鬼子母神、雑司ヶ谷のあたりなどはベストカー編集部のある音羽界隈からのわりと近く、なじみ深い存在なのだ。

1977年12月18日撮影。都内北区滝野川の明治通りにかかる歩道橋から国鉄王子駅方向を望む。写真右手は飛鳥山公園。画面左には2代目コロナマークⅡの特徴的な後ろ姿が見える
1977年12月18日撮影。都内北区滝野川の明治通りにかかる歩道橋から国鉄王子駅方向を望む。写真右手は飛鳥山公園。画面左には2代目コロナマークⅡの特徴的な後ろ姿が見える

 そして下の写真が現在の同地点だ。

2023年8月29日の同地点。道を行くクルマはミニバンや軽1BOXが多い印象。都電の車両も新型に変わったが、3車線で王子駅に向かって右にカーブを切りながら下っていく明治通りの配置は変わらない
2023年8月29日の同地点。道を行くクルマはミニバンや軽1BOXが多い印象。都電の車両も新型に変わったが、3車線で王子駅に向かって右にカーブを切りながら下っていく明治通りの配置は変わらない

次ページは : 都内の北西部から東部へと横断する都電荒川線王子駅周辺の併用軌道区間ではあのクルマとの共演シーンも!!

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