都内の北西部から東部へと横断する都電荒川線王子駅周辺の併用軌道区間ではあのクルマとの共演シーンも!!
1970年代、東京都は路面を走る都電を全廃する方針を固めた。銀座や青山、上野周辺など次々に路線は廃止され、主要道路上に敷設されていた線路は撤去されていった。しかし、現在の荒川線となる「27系統」と「32系統」は路面を走る併用軌道区間が短く、ほとんどが専用軌道だったこともあり、両系統を統合し荒川線として存続が決定されたという経緯があったのだ。
都電荒川線は1978年4月1日以降ワンマン化されて、それまで乗務していた車掌が廃止された。これを機に古い車両は廃車となり、比較的車齢の浅い車両はワンマン化改造を受けて使用が継続された。都電のカラーとして、50歳代後半から70歳代前後の人は「黄色の車体に赤色の帯」が真っ先にイメージされると思うが、ワンマン化改造された車両は識別のため「黄色の車体に青色の帯」に変更された。1977年後半ごろから「青帯車」が走り始め、1978年3月31日までは「赤帯車」と混在していたのであった。
飛鳥山付近を別の視点から撮影したのが下の写真だ。
ほぼ同地点の現在の様子が下の写真。
2023年の今日も都電荒川線は早稲田~三ノ輪橋を走っている。1977~1978年当時の車両は姿を消し、車体のカラーも変わった。そして周囲を走る自動車たちも大きく変化をした。一方、街の風景は大きく変わった場所もあれば46年前の面影を色濃く残す場所もあるのが興味深い。
都電の車両も周囲を走る自動車も大きく変わったが、歩道橋は46年前と変わらず明治通りにかかる。
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コメント
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