ふと元カノのことを思い出すように、生産を終えた昔のクルマのことを思い出すことがある。今回取り上げるのは日産サニー。かつてはスポーツモデルも存在し、レースでも活躍した傑作車だが、今はどこでなにをしているのだろう?
文/ベストカーWeb編集部、写真/日産自動車
■2代目はツーリングカーレースでも大暴れ!
そもそも日産サニーが誕生したのは1966年のこと。当時の日本は高度成長期にあり、市民の生活がぐんぐんと上向いている時代。それまで軽自動車に乗っていた人がワンランク上のクルマに乗り換えたいと考えるようになり、そのニーズに応える日産の回答がサニーだった。
初代サニー(B10型)の端正なその姿はいま見てもカッコイイが、エクステリアデザインはドイツのオペルカデット(B型)の影響を強く受けたと言われる。エンジンはA10型と呼ばれる1L 直列4気筒OHV。改良を加えつつその後30年も作られる傑作エンジンだった。
以降サニーは、ライバルであるトヨタ・カローラと熾烈な販売競争を演じていくわけだが、歴代モデルにラインナップされたクーペモデルは昭和ヤングのハートをわしづかみにし、走り屋系グルマとしても人気を集めた。
中でも活躍したのが、1970年に登場した2代目(B110型)。1171ccのA12型エンジンにSUツインキャブを搭載した1200GXがツーリングカーレースで大暴れし、歴史に名を残す名車となった。現代でも人気の小型ピックアップ「サニートラック(B120型)」も、この2代目が原型だ。
その後もサニーは20世紀の日本を駆け抜けていく。1983年に登場した5代目(B11型)からはセントラとしてアメリカでの販売を開始。1986年に登場した6代目(B12型)にはRZ-1という派生モデルが設定され、走りの良さから人気となった。
思わぬご長寿モデルも生まれた。1990年に登場した7代目は、94年の生産終了後もメキシコで「ツル」という名で生産が続けられ、なんと2017年まで作られるという快挙を達成したのだ。
ところが。20世紀も終わり頃になるとクルマのニーズが多様化し、サニーの個性はマーケットの中で埋没するようになっていく。
その結果サニーはセダン需要の高い新興国市場に軸足を移し、日本では9代目B15型を最後に、コンパクトモデルの「ティーダ(セダンモデルはティーダラティオ)」にその座を譲ることになった。サニーの名が日本市場から消えたのは、2004年10月31日のことだ。
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