■街の遊撃手ことジェミニはモータースポーツの世界でも活躍したホットモデル
双子座を車名の由来としながら、GMとの提携で共同開発されたグローバルカーがいすゞとユーザーを信頼で結ぶことを願うべくジェミニと名付けられた小型乗用車は1974年に販売が終了したベレットの後継車として登場。
1974年から2000年の26年間にわたって販売されたジェミニは日本にとどまらず、オーストラリアやアメリカを中心に輸出され、1975年度のオーストラリアにおけるカー・オブ・ザ・イヤーを受賞するなど、グローバルモデルとして高い評価を獲得した1台でもあった。
そんな初代ジェミニの存在感を印象づけたのは、1979年に追加されたスポーティグレードのZZだろう。
スラントノーズ化によるスタイリッシュなデザインをはじめ、130psを発生するDOHCガソリンエンジン、4輪ディスクブレーキの採用、前後スタビライザーの強化などで高い走行性能を発揮。なかでも2ドアのクーペボディを採用したZZ/Rは全日本ラリー選手権でも活躍した。
1985年に行われたフルモデルチェンジでは駆動方式がFRからFFに移行される大きな変更が行われたが、その2代目が大きなインパクトを与えたのはテレビコマーシャルだった。
“街の遊撃手”のキャッチコピーでパリの街並みを2台のジェミニが疾走するその様は、クルマ好きならずとも記憶に残っている人は決して少なくない。
また、2代目はジウジアーロ率いるイタルデザインによる直線を基調としたスポーティなフォルムも斬新であった。
1987年には内外装が変更され、ドイツのイルムシャー社がサスペンションをチューニングしたスポーツモデルや英国・ロータス社がチューニングしたジェミニ ZZ handling by LOTUSモデルといったスポーツモデルも発売された。
その後もグリルレスのフロントマスクとショートフード・ロングキャビンを採用したカプセルフォルムの3代目、ホンダドマーニのOEM車として発売された4代目&5代目が登場したが、2000年にこちらも販売が終了となった。
■ピアッツァはジウジアーロが生み出した唯一無二のスタイリングが一世風靡!
1979年のジュネーブモーターショーにアッソ・ディ・フィオーリ(イタリア語でクラブのエース)の名で発表されたピアッツァ。
その後、1981年5月に市販化されたピアッツァは、完璧なフラッシュサーフェスとくさび型のウェッジシェイプフォルムによる空力特性と居住性を融合して大きな注目を集めた。
しかし、注目を集めたのは独創的なスタイリングだけにあらず! 世界初のメモリー式チルトステアリングをはじめ、クイックアジャスト機構付無段階調整式マルチコントロールシート、セミリトラクタブルヘッドランプ、デジタルメーター、サテライトスイッチなどの先進機能も数多く採用されていた。
そんな初代ピアッツァのなかでも1985年に登場したイルムシャーは、高品質で際立つ個性を放ったスポーツバージョンとして知る人ぞ知る存在だ。
サスペンションはドイツのイルムシャー社と共同でチューニングし、エンジンも180psの最高出力を発生する2Lインタークーラーエレクトロターボを搭載。
加えて、専用の空力デザイン、MOMO社製本革巻ステアリング、RECARO社製レカロシートなども標準装備。精悍なブラックで統一されたインテリアもスポーティムードを演出した。
そんなピアッツァは1991年8月にフルモデルチェンジを実施。
アメリカではインパルス、国内ではPAネロ(ヤナセが販売)の名で販売されていたクーペをベースに、新開発の1.8L DOHC16バルブDOHCエンジンを搭載して登場した2代目。
エアダム一体式バンパー、リアスポイラー、セミリトラクタブル4灯ハロゲンヘッドランプなどでスポーティな印象を高めたエクステリアに加え、MOMO社製本革巻ステアリングやRECARO社製レカロシートを標準装備とし、サスペンションのチューニングも英国ロータス社が担当するなど魅力あふれるスペックを誇った。
しかし、群雄割拠の様相を呈していた当時の国内スポーツカー市場においてセールスは低迷。1995年に販売が終了となった。
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