とにかく生きて帰ること
当時、海の側にいたドライバーたちは皆、標高の高い場所へ移動していました。東北地方で多くの犠牲者が出た津波の映像を観ていたからです。北海道でも過去に奥尻町が巨大な津波の被害を受け、二百人もの方が亡くなっていますが、夜間だったこともあり映像が残っていないようです。
異常気象時も海の近くは危険ですが、地震による津波の危険度は予測不能です。とりあえず私達は、地震が来たら、個人が考えられる限りの避難をすると決めています。とにかく生きて帰ること。これに尽きますね。
当時、対応に追われたのは食品関係の仕事をされている方々だったと思います。彼らは常日頃分単位のスケジュールで運行していますし、保冷・冷凍食品の場合、受け入れ側の冷蔵倉庫が機能していなければ荷物を降ろせません。
石狩市の港にある冷凍倉庫はかなりの被害を受けたようです。被災後数日間、大量の廃棄冷凍食品が駐車場に仮置きされているのを見かけました。
巨大な倉庫ですから、自家発電装置を設置するとなれば、恐らく小さな発電所規模のものが必要でしょう。停電になれば、その時に保管している冷凍食品は全滅です。
道路に関しては主要幹線道路の信号機がすべて消えていました。ただ、不思議なくらい交通渋滞は起きませんでした。事故を恐れて運転を止めた人が多かったことも理由の一つかもしれませんが、信号機が機能している時よりも圧倒的に「譲り合い」が上手く行なわれていたからです。
的確な状況判断ができるドライバーでいよう!
つまり、あの状況下で運転をしていたのは、的確な状況判断ができるドライバーが多かったということです。平常時に目立つ悪質なドライバーというのは、もしかするとお行儀が悪いだけではなく、状況判断ができない人達なのかもしれません。
北海道で一番交通量の多い札幌市内の国道36号線でさえ、交通整理なしで見事な譲り合いが行なわれていましたよ。何しろ帰宅する際、平常時より15分も早く家に着きましたから……。
胆振東部地震を経験して、災害時に社会がどうなるのかを、とりあえず理解できたつもりです。災害の規模によっては予測できない状況もあるかもしれませんし、基本的に私達一般人には電気・水道・ガスなどの復旧はできません。専門の方々が不眠不休で復旧作業に就いてくれますから、待つことに全力を尽くすしかないのです。
私の58年の人生の中で、停電と断水で耐え難い苦労をした経験はありません。いずれも3~5日で復旧していたからです。海外諸国と比べると、日本のインフラ工事のクオリティは素晴らしいです。災害への備えをした上で、私達は下手に動かないことが、最も安全な対応なのではないかと、私は思いました。
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