2026年9月2日、新型三菱 パジェロの世界初披露記者会見が開かれた。「パジェロ復活」がいよいよ現実となったが、記者会見場に展示された「ラリーアート仕様」の新型パジェロ……これはもしかして、三菱がダカール・ラリー復活!?
※本稿は2026年9月のものです
文:ベストカー編集部/写真:土屋勇人、三菱自動車、ベストカー編集部
初出:『ベストカー』2026年10月26日号
パジェロ復活が意味するもの
2026年9月2日、東京都内で新型パジェロの世界初披露記者会見が開かれた。
国内外から800名超のメディアが集結し、岸浦恵介社長は「ブランドをけん引するフラッグシップ」と胸を張った。会見の質疑でも「パジェロといえばダカール。切っても切れない関係」と語り、会場を沸かせた。この熱気こそ、復活を待ちわびた声の大きさそのものだった。
パジェロの初代登場は1982年。翌1983年からパリ・ダカールラリーに挑み、1985年の日本車初の総合優勝を含む通算12勝で「砂漠の王者」の名をほしいままにした。国内では2019年に販売を終え、2021年には生産も終了。だが約7年の空白を経て、三菱の頂点に立つ一台として帰ってきたのだ。
会場の入り口には、ラリーアートのラッピングをまとった「ラリー仕様」が参考出品され、来場者の目を奪っていた。
2021年に復活したラリーアートは、2026年8月にタイで開催されたAXCR(アジアクロスカントリーラリー)でトライトンによる2連覇を達成。しかも2位とわずか2分25秒差の接戦を制し、田口勝彦/保井隆宏組が日本人ペア史上初の総合優勝という快挙も成し遂げた。
そして三菱は、2027年の参戦車両として、トライトンとともに新型パジェロの投入を検討、準備していると公言している。
さらに先日のペストカーのインタビューでも、岸浦社長は2027年のAXCRへのパジェロによる参戦準備を進めていることを明かしつつ、「最終的にはダカールで戦えるようにしたい」と明言。パリ・ダカールラリーへのワークス参戦復帰も検討されているのだ。
岸浦社長は「WRC参戦復帰はわたしの夢」とも語る。ランサーエボリューションなきいま、三菱にベース車両がないのは事実。それでもどうすれば復帰できるか考えているところだという。パジェロ復活はゴールではない。三菱がラリーの舞台へ返るための号砲なのだ。最近の三菱、期待しかない!
三菱自動車とモータースポーツ
三菱自動車のモータースポーツ史は、1967年のサザンクロスラリー(豪州)参戦に始まる。1973年には初代ランサー1600GSRが同ラリーで1〜4位を独占し、翌1974年にはサファリラリーでWRC初優勝。
以降も「ラリーの三菱」として系譜をつなぎ、ギャランVR-4時代の1991年、1992年には篠塚建次郎がコートジボワールラリーで日本人初のWRC優勝。そしてランサーエボリューションの時代を迎える。
WRCではトミ・マキネンが1996年から4年連続でドライバーズチャンピオンを獲得し、1998年にはマニュファクチャラーズタイトルも手にしている。ワークス活動は経営再建のため2005年末に休止が発表され、そのまま今日に至る。
一方、パジェロとパリ・ダカールラリーの物語は、初代デビュー翌年の1983年に始まった。初参戦でいきなり市販車無改造クラスを制すると、1985年には総合1、2位を独占。日本車初の総合優勝だった。
1992年、1993年と連勝し、1997年には篠塚建次郎が日本人初の総合優勝。1998年にはパジェロエボリューションを駆るJ・P・フォントネが勝った。
2001年、ユッタ・クラインシュミットが女性初の総合優勝を果たすと、ここから怒濤の7連覇が始まる。
2002年、2003年は増岡浩が連覇。2004年、2005年はステファン・ペテランセル、2006年はリュック・アルファン、2007年は再びペテランセルが制し、通算12勝に到達。参戦26回で12勝という数字は、他メーカーの追随を許さない「砂漠の王者」の称号にふさわしい。
しかし2008年大会はテロの脅威で中止となり、舞台を南米に移した2009年大会には新開発のレーシングランサーを投入したものの、これが三菱ワークス最後の参戦となった。同年2月、三菱はダカール・ラリーからの撤退を発表。以来、ワークスとしてダカールを走る三菱車は途絶えている。
その空白を埋め始めたのが、2021年に復活したラリーアートだ。2022年からトライトンでAXCRに参戦し、復帰初年度に総合優勝。2025年、2026年には連覇を達成した。
そして、次に見据えるのが、新型パジェロによるダカール復帰。「砂漠の王者」の帰還は、いよいよ現実味を帯びてきた。

























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