ライバルが凌ぎを削り合い、マーケットを活性化させる。自動車史にはそんな例も多い。アメリカンスポーツの世界も、歴史を紐解くとその不思議な関係性が見えてくる。ここではフォードとGMの物語を紹介してみたい。
古賀貴司(自動車王国) 写真:フォード
【画像ギャラリー】初代コルベット2速ATだったんか。超絶カッコいいコルベット一気見(6枚)画像ギャラリーまったく売れなかった初代コルベット
1953年1月、ニューヨークのウォルドーフ・アストリアホテルで開催されたGMモトラマショーにて、シボレー・コルベットが華々しいデビューを飾った。その流麗なボディに、会場は熱狂の渦に包まれたという。
GMデザイン部門のトップ、ハーリー・アールが欧州スポーツカーの牙城に挑むべく、グラスファイバー製ボディという革新的な手法で生み出した意欲作だった。だが華やかなデビューとは裏腹に、コルベットは深刻な販売不振に陥った。
外観こそ魅力的だったが、わずか150馬力の直列6気筒エンジンと2速オートマチックトランスミッションの組み合わせでは、スポーツカーとしての性能は満足できるものではなかった。それでいて価格は3498ドルと当時としては高額だった。
1953年に製造された300台のうち、実際に売れたのは200台未満。翌1954年も3265台を生産したが、売れたのは2780台にとどまった。
GMの経営陣は、コルベットの終売を真剣に検討し始めた。そこに救世主として現れたのが、皮肉にもライバルであるフォードだった。
コルベットの23倍も売れたフォードのサンダーバード
1954年9月、フォードはサンダーバードを市場に投入。292立方インチV8エンジンで約200馬力を発生し、3速マニュアルまたはオートマチックを選べたサンダーバードは大成功を収めた。
サンダーバードはコルベットに対して実に23倍も売れたのだ。この屈辱的な“敗北”が、逆にコルベットを救うことになった。
GMの経営陣は、フォードに屈するわけにはいかないという競争心に火がついたのだ。この頃、GMにはゾーラ・アーカス・ダントフという天才エンジニアが在籍していた。
フォード・フラットヘッドV8用のヘミヘッド「ARDUN(アーカスの“アー”、ダントフの“ダン”を組合わせて命名)」で名を馳せた彼は、1953年5月からシボレーのR&D部門に在籍し、コルベットの改良に取り組んでいた。
ダントフは新開発の265立方インチV8エンジン「スモールブロック・シボレー」とマニュアルトランスミッションの搭載を強力に推進していた。
そして1955年、コルベットはついに195馬力のV8エンジンと3速マニュアルトランスミッションを搭載したモデルを発売した。
しかし販売台数はわずか700台。GMは再び生産中止を検討し、コルベット投入の立役者であったアールさえもオールズモビルF-88への切り替えを提案した。
転換となった283立方インチV8エンジンの開発
だがGMの会計部門の判断が、コルベットに最後のチャンスを与えることになった。
というのもF-88の新規立ち上げよりも、既存のコルベットを改良する方がコスト面で有利だと試算されたからだ。
コスト削減という冷徹な経済合理性が、結果的にアメリカン・スポーツカーのアイコンを救ったのは面白い。
転機は1957年。ダントフが開発した燃料噴射式283立方インチV8エンジンと4速マニュアルトランスミッションを搭載したコルベットが登場したことだ。
1立方インチあたり1馬力という画期的な性能を実現したこのエンジンは、アメリカ初の快挙だった。
この年、販売台数は前年比でほぼ倍増の6339台を記録。これでコルベットは存続の道を確保できた。
一方のサンダーバードは、その後4座のラグジュアリークーペへと変貌し、スポーツカー市場から退場。コルベットはアメリカ唯一のスポーツカーとしての地位を確立した。










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