DRSの駆け引きで見応えあるバトルが展開した
その後フェルスタッペンはルクレールを追うも、フェラーリの速さ、特に高速コーナーが連続するセクター1では追いつけず、付いて行くのがやっとに見えた。しかしフェルスタッペンは余計なバトルを仕掛けずにタイヤをセーブして最後の数周に賭けた。
終盤のバトルではDRSの仕掛け合いが続いた。特に最終コーナーを挟んで2つ続くDRSゾーンが、勝負の駆け引き場所になった。
フェルスタッペンは最終コーナー手前でDRSによる2度の追い抜きを果たすも、2度ともメインストレートでのDRSで覆された。この状況は前回の開幕戦と似る。
ルクレールも必死のディフェンス、前回の様な余裕はなかった。
フェラーリは第1コーナーを抜けた後のセクター1が最も有利なエリアで、単独走行ならばタイムを出せるのだが、ここでは如何に高速車であろうと前走車を抜くのは至難の技、むしろ不可能に近い。従って第1コーナーは常にトップで飛び込みたいところなのだ。
最終コーナー手前で2回のアタックをしたフェルスタッペン。ルクレールを追い抜きはしたものの、2回とも次のメインストレートであえなく抜き返されてしまった。しかし3度目は最終コーナーまでDRSでルクレールを追いつめるも、ディテクションライン手前でギリギリ抜かずに抑え、最終コーナーを超接近で抜けメインストレートではDRSを使ってルクレールを抜き、ついに第1コーナーを奪取。セクター1でフェラーリを抑えれば、他のセクターではレスダウンフォースのレッドブルが速くまず抜かれることがない。最終コーナーでルクレールを前に行かせることで勝利が決まった。
フェルスタッペンはまさに頭脳戦を制した
フェルスタッペンがDRSを戦略的に使ったのはこのレースが初めてではない。昨年のアメリカグランプリ最終ラップに向かう時、周回遅れのハスを巧みに使い、猛追してきたハミルトンをDRSで突き放したレースを彷彿とさせる。
現在、フェルスタッペンはDRSを最も巧みに使えるドライバーなのかもしれない。
レース終盤へ向けてのタイヤセーブ、ライバルの利点弱点を見極める眼力、そしてDRSを巧みに使う戦略とそのシナリオ……。
ドライビングテクニックはもちろんの事、戦略とそれを柔軟に遂行する落ち着きとクールなメンタル。クレバーなドライバーのトップエンドに、今マックス・フェルスタッペンは登り上がったようである。
ゼロサイドポッドのメルセデスW13が不調だ。ハミルトンがなんとQ1落ち
復活フェラーリとレッドブルのトップ争いに一歩も踏み込めずに終ってしまったのがメルセデス。ラッセルは若さと、新人のやる気で何とかトップ5を維持したものの、7回のワールドチャンピオン、ルイス・ハミルトンは2戦目も苦しんでしまった。前回の開幕戦で表彰台には登ったものの、レッドブルの2台がリタイアしての3位であった。
今回はさらに酷く、予選ではQ1落ち!! メルセデスとハミルトンにはワースト記録かも。セッティングが決まらず、施されたレース仕様では方向を間違えたことが大きな要因だが、メルセデスのW13は過激なエアロコンセプトに答えが出ず、PUパフォーマンスもいまひとつだ。
過激なエアロでの神経質な挙動は、今シーズンのベンチュリーカーに馴染まず、ハミルトンのクイックなドライビングがW13にフィットしていないというのが本当のところだろう。
ハミルトンとメルセデスが競争力を取り戻すには少々時間が必要のようだ。
【画像ギャラリー】フェルスタッペンとルクレールのオーバーテイク合戦!白熱のサウジアラビアGPを写真で振り返る(4枚)画像ギャラリー
津川哲夫
1949年生まれ、東京都出身。1976年に日本初開催となった富士スピードウェイでのF1を観戦。そして、F1メカニックを志し、単身渡英。
1978年にはサーティスのメカニックとなり、以後数々のチームを渡り歩いた。ベネトン在籍時代の1990年をもってF1メカニックを引退。日本人F1メカニックのパイオニアとして道を切り開いた。
F1メカニック引退後は、F1ジャーナリストに転身。各種メディアを通じてF1の魅力を発信している。ブログ「哲じいの車輪くらぶ」、 YouTubeチャンネル「津川哲夫のF1グランプリボーイズ」などがある。
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