20世紀にはバブル期があった。そしてラーメンバブルもあった。そんな時に食べた、あの熱い一杯。『ベストカー』および『おとなの週末』のライター・カーツさとうが、時を経て、今ひさかたに味わえば……ああ蘇る、あの時代、あの喧騒。ラーメンは時代の記憶も蘇らせる。
写真・文/カーツさとう
■ラーメンの香りはプルーストのように
昔はよく喰ったなぁ、朝まで呑んで最後に食べる『締めのラーメン』ってヤツ。“昔”っつっても、自分ではつい数年前のことだと思ってたんだけど、還暦直前のオレが20代だったバブル時代の話なんで、おいおいもう40年近くも前の話じゃないかよ!
その頃よく行ったラーメン屋さんにも、そういやとんと行ってない。ここはひとつ、還暦前に昔を懐かしんで、バブル期にすすったラーメンを今一度我が胃袋に!!と食べ歩いてみた。
バブル期前夜の80年代初頭。出版業界で仕事をし始めたオレが、年長の編集者と呑んだラストに「最後にラーメンでも行く?」と朝の6時頃に誘われ、「こんな時間にやってんのか?」と驚きつつ、初めて朝の締めラーメンを食べた店が千駄ヶ谷の『ホープ軒』だった。
その店に30年ぶりくらいで入った。入った瞬間、「そうそうこの匂い!!」と、あのイイ意味で獣感あるスープの香りというより匂いを久しぶりに嗅いだ瞬間、昔のことが今のように思い出された。
それはまるで、プルーストの『失われた時を求めて』で、マドレーヌを食べた主人公に昔の記憶が蘇るかのような体験。実は最近、食べ物で昔の記憶が蘇ることがたまにあるのだ。
そして今回のラーメン店歴訪では、『ホープ軒』に限らずそんな記憶の蘇りが続けざまに頻発!!『ホープ軒』で思い出したのは、にんにくと豆板醤が、業務用のボトルのままカウンターに置かれている光景。
大胆だなァ〜と思いつつも最初は遠慮して使ってたが、そのうち使用量がエスカレート。豆板醤はある程度入れても旨いが、調子に乗ってレンゲに山盛り3杯入れると味がわからなくなることを学んだ。
そして店から出ると、いつも旧国立競技場越しの朝日が黄色く見えて眩しかった。バブルの絶頂期には、六本木の『香妃園』の「鶏煮込みそば」でもよく締めた。その頃、確か新聞で立川談志が「『香妃園』の鶏煮込みそばが好きだ」と言っている記事を読んだ記憶が蘇ってきた。
ただ記事はまだ続き、談志師匠曰く「だがあの煮込みそばは家でも似た味を作れる。サッポロ一番塩ラーメンにスープと共に鶏肉と青菜も入れて15分煮る。それが立川流鶏煮込みそばだ」だそうで、真似したら本当に似ていた。それを知ってから今回まで食べてなかったわ、この店で。
同じ六本木でよく行ったのが『天鳳』。店内メニューの“ビールは一人1本まで”の文言を見て、思い出した。知人がビールの2本目を頼んで断られた。「このケチ」と捨てセリフを残して店を出た知人。出たとたんに踵を返してまた入店。「新客だ、ビールくれ!!」と注文して、店主と喧嘩になってたなあ。
20代の頃、毎晩のように遊んでいたのは西麻布だった。『ピカソ』や『トゥールズバー』といったクラブで踊った後、元祖カフェバーの『レッドシューズ』で朝まで呑む定番コースの合間に、『かおたん・らーめん』にも何度が行ったことがある。
だがツマミで呑んだことは思い出しても、なぜかラーメンの記憶は蘇らなかった。そうだ! あの頃はラーメンと言えば『レッドシューズ』の「海苔らーめん」を食べて締めていたのだ。懐かしい……。
コメント
コメントの使い方カーツさんの文章は良いですね。カーツさんだけまとめて貰って本を出してくれないかな?
でも皆さん本当に詳しいですね。美味い店。
自分も誘われたら行きますが自分から行く事は無いです。お腹いっぱいになれば、それで良いし不味くなければ何でも。結婚して約20数年で家内の料理に文句は無し、同じものインスタント全然大丈夫。偉そうに言う事で無いですが、いると思うんだがなあ。