25年ぶりのリーグ優勝、そして日本シリーズ進出を決めた広島東洋カープ。
今でこそカープ快進撃にわく広島の街だが、今から約70年前、広島は原爆による焼け野原だった。そのどん底の状況から市民とともに復興の道を歩んだのが、市民球団の広島カープであり、また地元の経済を支えたマツダ(東洋工業)であった。
スカイアクティブ戦略をきっかけに復活をとげたマツダ、その根底に流れる「広島魂」にも光をあててみる。
文:鈴木直也
ベストカープラス2015年8月17日号
マツダの危機を救った1本のビデオ!
マツダにはブランドエッセンスビデオと名付けられた1本のビデオが存在する。
下に紹介するが、シンプルなキーワードとともに、マツダが目指す方向性を示したものだ。このビデオの原型ができたのは2002年だが、今でも社内イベントなどの冒頭でこのビデオを流し、全社員が意識を共有するという。
「走る喜び」「人馬一体」など今のマツダが推し進める戦略と商品(クルマ)がこの映像を見ると見事に一致していることがわかる。もう13年も前につくられたビデオなのにだ。
2000年代のはじめ、マツダは大規模な早期退職を行なった。それと同じタイミングでできたこのビデオ。
これを見て「マツダに残る」と決意した社員も多かったという。こんなシンプルなビデオが、マツダ復活のきっかけを作ったのかもしれない。
https://www.youtube.com/watch?v=PBdrouLr388 →2019年現在は非公開
マツダを支える不屈のチャレンジ精神
スカイクティブと魂動デザインの商品群で、近年快進撃を続けるマツダ。かつて何度も浮沈を繰り返し、危機のたびにに多くの仲間が会社を去った。
2001年の早期退職プランでは、1800人規模の希望退職枠に対し、希望者が殺到する事態もあった。マツダは社員からも見放され、まさに瀕死の状態にあったわけだ。そんなマツダが、わずか15年足らずで、劇的な復活をとげる。
マツダのどこにそんな底力があったのか。その秘密を振り返ってみよう。
ご存じのとおりマツダといえば広島ときってもきれない自動車メーカーだ。もともとコルクを作っていた会社(東洋工業)が、3輪トラックの生産に乗り出したのが始まりだ。
しかし、産声をあげたばかりの自動車メーカーに危機が訪れる。日本人なら誰もが知っているであろう、広島への原爆投下だ(1945年8月6日)。広島は焼け野原と化し、マツダは多くの社員とその家族を失った。
しかし、そんな状況にありながら、広島の街を元気づけたのも、マツダだったという。壊滅状態だった行政機能を救うため、府中工場の敷地を臨時の広島県庁舎として提供。
広島の復興を支えるとともに、原爆投下後わずか4カ月で3輪トラックの製造を再開。まさに地元の行政・経済・産業復興の大黒柱として大奮闘する。
もし、マツダが存在しなかったら、戦後の広島の復興はどれだけ遅れていたかわからない。広島にとってのマツダは、それほど特別な存在だったのだ。
この終戦直後になめた辛酸にくらべれば、経営危機なんぞちょろいもの。マツダにはそのくらいタフなDNAが備わっているのだろう。
フォードがマツダのよさを引き出した
マツダの危機のなかでも、おそらくもっとも深刻だったのが1990年代の経営危機だろう。バブル景気に乗り、身の丈を無視した5チャンネル化推進が失敗に終わったのは、多くの人の記憶に残っている。
マツダはこの経営危機を乗り越えるため、フォードとの関係を一層深める。フォードからの出資比率を33.4%に引き上げるとともに、ヘンリー・ウォレスが社長に就任。
名実ともに、フォード傘下の会社として再建を目指すことになったのだ。日本の自動車メーカー初のガイジン社長出現に「ついに国産車メーカーが外資の軍門に下った」と話題になった。
しかし、このフォードとの関係が、マツダのよさを結果的に磨いていくことになる。奔放なモノ造りしかしてこなかったマツダに、高い効率を要求して意識を変えるきっかけを作ったのはフォードであった。
また当時、ジャガーやランドローバー、ボルボなどを傘下にしたフォードが、各ブランドの差別化をはかるために、マツダが目指すブランドのビジョンやバリューの方向性を示したことものちのマツダの財産となる。
この頃つくられたのが、冒頭でも紹介したブランドエッセンスビデオであり、マーク・フィールズの指揮のもとに展開された新しいブランドメッセージ「Zoom-Zoom」である。
そして、クルマ造りの中心に“走りの楽しさ”を据えるこのZoom-Zoomこそが、バブル崩壊以降の負の遺産を精算して新たな攻勢に転じる旗印としての意味を持つ。
実際、Zoom-Zoom初のニューモデルとなった初代アテンザ以降、マツダのクルマは「攻め」のイメージへと変わった。業績最悪の時代によくぞこんないいクルマを仕込んでいたと思うくらい。逆境に負けないマツダDNAと、走る楽しさを大事にしてきたマツダのヘリテージが、見事にブランドメッセージと融合したといえる。
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