時間が経つのは早いもので、世界経済に大きく影響を与え、日本経済もダメージを受けた2008年のリーマンショックから丸10年が経過。
日本の基幹産業である自動車産業も例外なく影響を受け、発売されるはずだったクルマがお蔵入りとなったり、コスト削減などによりプロジェクトの大幅変更を余儀なくされた。
日本経済に打撃を加えたものとして有名なのは1990年代のバブル崩壊があるが、クルマ界はバブル崩壊後の10年とリーマンショック後の10年は復興具合に差があるのか?
本企画では、同じように大きなダメージを受けたバブル崩壊後の10年とリーマンショック後の10年を西村直人氏に分析してもらった。
文:西村直人/写真:TOYOTA、NISSAN、HONDA、MAZDA、FERRARI、ベストカー編集部
バブル崩壊後は長きにわたりもがき苦しんだ日本の自動車産業
「バブル崩壊」と「リーマンショック後」はともに長引く不況をもたらしたことはご存知のとおりです。重厚長大かつ基幹産業である自動車業界はその国と地域の経済とは密接な関係があります。
そこで今回は、バブル経済崩壊後とリーマンショック後というふたつの不況に見る自動車業界の復興を考えてみたいと思います。
まずは復興プロセスの前に、このふたつの不況をもたらした原因を簡単に振り返ってみます。
バブル崩壊は、日本の好景気をパッとはじけて破れた風船になぞらえたものです。端を発したのは「プラザ合意」でした。1985年9月22日、米・ニューヨークのプラザホテルで開催されたG5(日本/米/英/独/仏の先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議)の場でドル高経済是正に対する合意が確認されました。
この合意を、開催したホテルの名前と取りプラザ合意としています。合意後は米国の狙い通りドル安となったものの、それが日本では逆に円高となり輸出が減少、国内景気は低迷し始めました(円高不況)。
これを踏まえ日本銀行は数々の低金利政策を打ち出して対応し、日本企業は徐々に円高メリットを為替の上で得られるようになります。
加えて、金融機関はそうした景気回復に弾みを付けるべく貸付を加熱させ過剰流動性(=市場通貨の総量が経済活動の需要を上回る状態)とし、結果として不動産や地価、株式などの資産価値が急上昇しました。
1989年12月29日の日経平均株価は史上最高値の38,915円を記録しています。これがバブル景気です。
しかし、過剰流動性による実態を伴わない好景気は1990年中盤から雲行きが怪しくなります。そして翌年には、空気をいっぱい詰め込んだ風船がパッと破れるかのように破綻しました。
これが「失われた10年、20年」とも言われるバブル崩壊です。当然ながら経済は低迷し個人消費も伸び悩み、こうなると新車を購入しようとする意欲も減退していきます。
事実、日本における新車登録台数は1990年の777万7665台をピークに19年後の2009年に至っては後述するリーマンショックも重なり59.3%の469万182台にまで減少しています。
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