リーマンショック後は予想を覆すスピードで復興してきた
いっぽうのリーマンショック後とはアメリカの証券会社であるリーマン・ブラザーズの経営破綻から始まった世界同時の株安現象です。米国でのサブプライムローン問題がその主たる要因であると言われています。
2008年9月15日には経営破綻したリーマン・ブラザーズに対して、世界的な保険会社のひとつである「AIG」に税金が注入され公的管理下におかれました。
米国は「究極の危機対策」といわれる金融機関への資本(税金)注入を示唆したにもかかわらず、その発表翌日である10月9日のニューヨーク市場はダウ平均が9000ドルの大台を大きく割り込む超安値で取引を終え、その後、数々の金融政策が打たれたものの株価は安値のまま低迷します。
ただ、そもそも米国で発生したサブプライムローン問題が、どうして日本を含めた世界経済の悪化を招いたのでしょうか? そのカギを握るのが米国の住宅事情でした。
米国でも日本と同じく、住宅取得時に住宅ローンを利用する人が多くおられますが、収入が低いなどの理由から一般的に用意されている住宅ローンを組むことができない人たちもいました。
そこで米国の住宅ローン会社は“低所得者向け高金利住宅ローン”を生み出して、収入の低い人たちでもマイホームが手に入る商品を生み出したのです。それがサブプライムローンでした。
サブプライムローンは借入当初、非常に低い金利が適用されますが、その期間を過ぎると返済金額が上昇し借り手によっては返済が滞ることとなり、ローンが焦げ付き始めます。
そもそも住宅ローン会社はローン債権を証券化することで証券会社や銀行、さらには保険会社に転売し利益を得ていたわけですから、そのローンが焦げ付いてしまえば証券価格が暴落し、資金繰りが悪化してしまいます。
こうした負のスパイラルによって、住宅ローン会社自らも経営基盤を失い多くが倒産。その結果、個人消費は低迷し、米国景気は急減速しました。
そして、金融市場の混乱を招いた一連のサブプライムローン問題は、ニューヨーク株の大暴落をもたらすまでに脹れあがり世界に波及、これがリーマンショックと呼ばれる世界同時株安のからくりです。
ちなみに2008年当時の自動車メーカー株では、フォルクスワーゲン、ダイムラーのほか、フィアットも株価を大きく下げています。
バブル崩壊とリーマンショックはいずれも個人消費を大きく減少させました。絶対的な物の流通量が減ったのです。
それに呼応するかのように、国の経済を左右する自動車業界は道路などのインフラ事業も巻き込み、成長戦略から大きく外れていきました。
ただ、詳細をみていくと日本の自動車業界の復興には特徴が見られます。
バブル崩壊後はかなりの苦戦を強いられ底上げに時間を要してきましたが、リーマンショック後の10年間は大方の予想を覆すスピードで復興してきたと言われています。
徹底した合理化、バブルの教訓を活かして奏功
自動車業界におけるバブル経済における負の遺産は、「神武/岩戸/いざなぎ」の好景気から続く日本全国・総中流家庭意識がもたらした豪華さや贅沢の追求にありました。
戦後のクルマ社会は経済成長とともに販売台数を急激に伸ばしましたが、そこではメーカー間における過剰な競争が繰り広げられ、豪華なクルマが次々と産み出さるとともに、ユーザーもそれを当たり前のように日々を過ごします。
「寝ても覚めてもクルマがどんどん進化していった時代だった」と、当時を知る自動車会社の役員は当時を振り返ります。
しかし、過剰な競争は次第に破綻。高価格、贅を尽くした装備、卓越した走行性能……。バブル時代のクルマは潤沢な開発費用がかけられたうえに、高価な素材をふんだんに使って作られていることで知られています。
初代トヨタセルシオ、日産スカイラインGT-R(R32)や初代ホンダNSXなど世界の自動車史に名を残すクルマが産み出されたいっぽうで、行きすぎた贅沢からなかなか脱却できなかったという点がバブル崩壊後、長らく日本の自動車業界が低迷した理由があるように思います。
対するリーマンショック後の予想を上回る素早い立ち直りは、バブル崩壊での経験が活かされているのではないでしょうか。同じ轍は踏まないということです。
また、クルマ作りそのものも最小限のコストで最大限の効果が得られるよう、費用対効果を第一に考えた設計思想が次々に取り入れられ、実際、コストのかかる試作車の実車制作は行わずCAD(Computer Aided Design)によりデータ上で完結させるなど徹底した合理化が進められています。
さらにトヨタの新しいクルマ作りの設計思想である「TNGA」や、マツダの「MBD(モデルベース開発)」などに代表されるように、クルマ作りそのものをこれまで以上に微分し高効率化していることも功を奏しているように感じます。
高度成長時代から自動車業界は垂直統合型のクルマ作りが基本でしたが、リーマンショック後は、そうした姿勢を基本としながらも応用性や柔軟性を持たせ、日本市場だけでなく輸出や現地生産における不確定要素にも対応できる体力をつけきたわけです。
このように、バブル崩壊後とリーマンショック後の自動車業界が経験した道のりは、根本が違っていると推察しています。
もっともこの先、自動車業界にはさらなる試練が待ち受けているかもしれません。自動運転技術での競争やMaaSやシェアリングといった既存のクルマ社会が経験したことのない領域との共存が求められるからです。
そのために、自動車業界には確実な経営基盤と盤石な企業体勢を維持することが引き続き望まれていくことでしょう。
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