今から30年以上前に、マークII、クレスタ、チェイサーの三兄弟合わせて月に4万4593台も売っていた時代があった。そう、50代以上のおじさんなら懐かしい、X70系(GX71)の時代である。なぜこれほど売れたのだろうか?
文:ベストカーWeb編集部/写真:ベストカーWeb編集部、トヨタ
■マークII三兄弟が全盛だった時代
セダンが売れなくなって久しい。2019年12月に生産終了したマークXの最後期は、1年間でたった8000台あまり、それに比べて今回取り上げるX70系(GX71)のマークII、クレスタ、チェイサー三兄弟の全盛期の最高月販台数は、1987年3月、マークIIが2万5514台、クレスタが1万1556台、チェイサーが7523台だった。三兄弟合計が4万4593台と驚異的な数値だ。
ちなみにクラウンの2023年の年間販売台数は4万3029台だから、マークII三兄弟は1カ月でクラウンの年間販売台数を売り上げたということになる。
2024年3月の月販台数を見ると、1位はカローラが1万8831台、2位ヤリス1万7677台、3位ノート1万2731台、クラウンが7432台。いかにマークII三兄弟が売れていたのかがわかる。
当時は、ハイソカーブームの真っ最中。ハイソカーブームの火付け役となった1981年に登場したソアラだったが、ソアラはあくまで憧れの頂点。
販売台数から見て爆発的なヒットとなったのは、それよりはややお求めやすい価格の4ドアハードトップ、マークII/チェイサー/クレスタの、いわゆる「マークII三兄弟」だったのだ。
■マークII三兄弟はなぜ大ヒットしたのか?
というわけで、ハイソカーブームの主役だったマークII三兄弟(X70系)は売れに売れたのだが、その人気の要因はなんだったのか?
まずはスタイリングだ。マークII三兄弟(X70系)のスタイリングは、日本人の美意識にはまったのだ。家具や調度品のようなクリーンな直線基調がウケたのだ。しかも実用的な4ドアで、ちょっとスポーティなハードトップという点も人気の要因だったのではないか。
モケット地の豪華ソファも思わせるゴージャスなシート(キャバレーにあるような豪華さがあった)もよかった。今思えば、あれがよかったのかも。本革シートはあるが、当時のゴージャスなシートは今見渡してもあまりない。
そしてボディカラーのスーパーホワイトも売れた理由のひとつ。ハイソカーの代名詞、初代ソアラで初採用されたスーパーホワイトは、遅れてマークII三兄弟にも採用された。いわばスーパーホワイトの大衆化といってもいいだろう。これに多くの国民が飛びついたのだ。ちなみに現在も、ボディカラーの人気色は、白、黒である。
最後は速さである。マークII三兄弟(X70系)の主力エンジンは、2L直6の1G-GEU。直6というだけでかなり贅沢だったが、このエンジンは1気筒あたり4バルブのDOHC! 最高出力は160psを誇り、ライバルである日産のL型やVG型を寄せ付けなかった。
1985年には、日本車初のツインカムツインターボ(2Lで185ps)、1GーGTEUも登場。友人所有のGX71マークIIツインターボに乗らせてもらったことがあるがアクセルを思いっきり踏むと、体がシートに押し付けられるほど凄かった。
その後、X80系に続いて、1996年10~2001年10月まで販売されたJZX100系チェイサーツアラーVが人気に。FRで280ps/38.5kgmを発生する1JZ-GTE型2.5L、直6エンジン+5速MT(4速ATもあり)は、いまだに人気が衰えることを知らない。
チェイサーツアラーVにもときめくが、やはり、ハイソカーの真っただ中に20代の青年だった筆者は、GX71のマークIIグランデかGTツインターボ、スーパーホワイトをいつかは買いたいと思っている。
ということで、大手中古車情報サイトで検索して見ると、GX71マークIIの流通台数は15台あまり。価格帯は128万~360万円。もっとも高いのはグランデツインカム24、5速MTの360万円だった。価格幅が大きくてなんともいえないが、ちょっと高くて手が出ないなあ~。
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コメント
コメントの使い方マークII三兄弟、流行りましたね。バブル真っ盛りで、社会全体がイケイケだった事もあったのでしょう。かくいう我が家も母がGX71マークIIに一目惚れして即決で購入。記事にあるようにデザインと内装がたいそうお気に入りで、嬉しそうに乗ってました。それからバブル崩壊後に出たチェイサーツアラーVはすぐ上の兄が一目惚れして購入(母のDNAですね)。私のR32と2台で、よくあちこち出かけました。よい思い出です。