オールドファンなら、写真のヘルメットを被った男に見覚えがあるはずだ。彼の名はゲルハルト・ベルガー。
1990年にプロストと入れ替わる形でマクラーレン・ホンダに移籍し、アイルトン・セナとともに、2年連続のF1ワールドチャンピオンをホンダにもたらした男だ。
そして、ベルガーとともに写真に収められたもうひとりの男こそ、ベルガーの担当エンジニアであり、2018年から新たにホンダF1を率いる田辺豊治氏だ。
同氏は佐藤琢磨のインディ500制覇を支えたエンジニアでもある。昨シーズン10チーム中9位と苦杯をなめたホンダF1は、トップを替え、復活に向かうのか?
Text:津川哲夫/Photo:Honda、Red Bull Content pool
新たなパートナーとの船出に向け体制一新したホンダF1
2015年にマクラーレンのエンジンサプライヤーとしてF1復帰を果たしたホンダは、大きな成果を挙げられないまま3年を費やしてきた。
開発の遅れに対してマクラーレンとホンダ、双方の思惑が一致せず、結局マクラーレンとの間に技術的にも政治的にも大きな溝ができてしまい、予定よりも早くパートナー契約は解消されてしまった。
一旦はホンダのF1撤退も囁かれたが、2018年はトロロッソへのパワーユニット供給が決まり、パートナー契約が結ばれ、ファンや関係者を安堵させてくれた。
全く新しいトロロッソとの提携に伴い、ホンダは開発組織の大幅な強化・変更を行った。
2015年復帰当時はF1のレベルそのものを読み違え、2年を棒に振ったが,2017年から本格的な新パワーユニットの開発が始まり、シーズン終盤にはついに“F1レベル”にまで達し、何とか2年分の遅れを取り戻してきた。もちろんまだ十分ではなかったが。
ベルガーも認める田辺氏の絶大な「人望」
新たなトロロッソとの関係には、マクラーレン型のしがらみや思惑を切り離し,心機一転の関係が望まれた。
結果、ホンダF1プロジェクトチームはその組織を大きく変更。これまで開発と現場の両方を総合的に管理してきたF1プロジェクト総責任者のポジションは消滅。
開発・運営を管理するサクラ(栃木県にあるホンダのF1開発拠点)と、F1のレース現場を切り離し、レース現場の総司令官にテクニカルダイレクターのポジションが新設された。
初代テクニカルディレクター(TD)にはベテランエンジニア、田辺豊治氏が就任。
田辺氏は怒濤の第二期ホンダF1時代からレースエンジニアを勤め、インディカーエンジニア、第三期F1時代はチーフエンジニアとして過ごし、昨年までHPD(北米でホンダのレース活動を担う関連会社)でチーフとして活躍してきた、現ホンダでは数少なくなった第二期ホンダ黄金時代からの生粋のレースエンジニアである。
田辺氏は第二期ホンダ黄金時代、ゲルハルト・ベルガー担当エンジニアとして活躍、そのベルガーから絶大な信頼を得ていた。
これはベルガー本人が語り、認めるところだ。実際、過去にトロロッソのCEOであったベルガーは、未だにトロロッソとの関係が良く、これも田辺氏には追い風のはずだ。
また、「彼は確実で信頼感あるエンジニアというだけでなく、穏やかな性格がチーム全体を和ませ、チーム内での人気は高かった」と言う。これは第二期ホンダ時代に、マクラーレンのシニア・メカニックが田辺氏を評し語った言葉だ。
さらに第三期BARホンダ時代にはジェンソン・バトンのチーフエンジニアを担当し、もちろんジェンソンからも高い信頼を得ていたのは言うまでもない。
トロロッソはレッドブル傘下のチームではあるのだが、元々はミナルディというチームであり、今でも独特なイタリアンカラーを持っていて、陽気なチームだ。
もちろんレッドブル的政治色は隠せないが、保守型のマクラーレンとは全く違う、考え方がリベラルなチームで、オープンマインドが持ち味だ。無駄なく無理をせず、しかも自由奔放に……。
田辺氏はそんな自由奔放なチーム色と、レッドブルの政治色と、ホンダの企業色の全てをスムースに馴染ませ、合体させて行く潤滑剤的存在になり得るはずだ。
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