今年でホンダはF1のワークス活動を終了する。そして来年は二輪のホンダワークスともいえるHRC(ホンダ・レーシング)がレッドブルと協力してF1を戦うというのだ。これはどういうことなのか? 元F1メカニックの津川哲夫氏に詳しく解説していただいた。
文/津川哲夫、写真/Red Bull Content Pool,mclaren
■2015年からF1復帰もマークラーレン・ホンダは惨敗
パワーユニットのサプライヤーとしてF1に復帰したホンダだが、2015年からの3年間、マクラーレン・ホンダは結果を残せずに終っている。それは技術の問題よりも、組織体制とF1への思考が近代F1にマッチしなかったからといって良いだろう。この時ホンダは、F1に参戦をするために、HRD(ホンダ・レーシング・ディベロップメント)サクラを新設しそこでPUの開発製造を行い、そして英国のミルトンキーンズには、現地の戦闘部隊であり現場での整備開発を行うHRD(ホンダ・レーシング・ディベロップメント)UKを立ち上げた。
残念ながらマクラーレンとの共闘では成果を出せず、僅か3年でマクラーレンと袂を分かった。当時はホンダF1撤退の噂も飛び交っていた。
しかし状況は一変する。それまでルノーワークスチームであったレッドブルは、カスタマーチームへとステイタスを降格させられたことで、次期PUとしてワークス・ホンダに白羽の矢を立てたのだ。交渉は成立し、まずは2018年トロロッソ(現アルファタウリ)にホンダPUの搭載を決めた。
これはホンダ側にとってもF1でのアンフィニシュトビジネス(未達成の仕事)を達成するためには渡りに舟で、まずはレッドブルBチームのトロロッソでホンダPUの実戦開発を行った。
Bチーム故に成績へのプレッシャーは無く、ホンダはシーズンを通して伸び伸びと開発に邁進できたのだ。
■レッドブルホンダの誕生、そして組織の刷新
マクラーレンでの学習期間を終了し、ホンダは開発・実戦双方の組織をより実戦型へと刷新、F1挑戦への態度を大きく変えた。
HRDサクラでのF1パワーユニット(PU) 開発責任者として浅木泰昭氏が、そしてHRD UKでは田辺豊治氏がTDとして就任。彼はホンダ第二期からのエンジニアでありインディカーを含めてホンダレーシングのスペシャリスト、つまりHRDの組織は2018年から体制を実戦型へと大きく方向を変えたのだ。
第四期ホンダF1プロジェクトはここから本格化した。ホンダPUはマクラーレン時代の小型化コンセプトだけを残して全てを見直し、トロロッソでの一年で耐久性を確立。2019年にはレッドブル本体との2チーム体勢が敷かれた。
開発はHRDサクラが担当し、絶対的信頼性を確立。そして最終年2021年に向けては、何と全く新しいPUを投入した。これはHRDサクラの真骨頂ともいえるもので、浅木エンジニアチームの集大成である超コンパクトエンジンとホンダジェットからのノウハウを投入したターボユニット、そしてMGU-Hが高次元で融合していた。この新しいPUは、絶対王者のメルセデスを驚愕させる高いパフォーマンスを発揮し、さらに信頼性をも両立させていた。
その結果、ホンダPUは堂々と世界チャンピオンを争い、王者メルセデスに迫る勢いを見せつけている。
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