くうさんは16歳の時から約8年間、採石場で大型ダンプやパワーショベルに搭乗してきました。イジメと偏見、さらには性暴力にさらされながらも、ドライバーとしての技量に磨きをかけます。
そして、大型免許を取得し、いよいよ「構内」から外の世界へ。さまざまなトラックを乗り継ぐことになりますが、やはりここでも男社会の壁が立ちはだかります。
18年間のドライバー人生を綴るくうさんの「素顔の自叙伝」、いよいよ後編です。
文/火の国の女性ドライバーくうさん 写真/フルロード編集部・くうさん
*2010年5月発行トラックマガジン「フルロード」創刊号より
21歳で初めて「外」へ
21歳になって、初めて大型車で「外」を走った時は嬉しかったですね。慣れた砕石場と違って、外は危険がいっぱいで神経を使いましたが、楽しかったです。
昼間は系列会社で大型の生コン車に乗って、夜間は大型ダンプに乗っていました。昼も夜も働いていたから、ほとんど寝る時間はなかったけど、充実していました。
でも人間って慣れてくる生き物なんですよね。運転がメインの現場仕事だから、だんだん物足りなくなってきたんです。そこで私が新人だった時に世話役をしてくれたオジさんに「貨物をやりたい」って相談してみたんです。
「荷物が勝手に載って勝手に降りてくるような楽な仕事をしているのに、手積み手降ろしのしんどい仕事が勤まるか?」って言われました。でも「お前は頑張り屋だから貨物で頑張ってみたらいいよ。無理ならまた戻って来いよ」って言ってくれました。
そんなこんなで7年半勤めた砕石場を23歳で辞めて、次に雑貨を扱う運送会社に入社することになります。
電話では「うちは手積み手降ろしばかりだから、女の子じゃしんどいよ」と軽く断られたんですが、「面接だけでも」としつこく頼んで、OKしてもらいました。面接で事務所に入った時は、運転手の先輩が数人いて、ジロジロ見られて異様な空気に負けそうでしたね。
社長の第一声は「トラックに乗るより飲み屋のほうが向いているんじゃない?」でした。殴ってやろうかと思いました(笑)。
手積み手降ろしの雑貨便に転身
「今日は時間ある?」って聞かれ、ホーム作業の体験をさせてもらうことになったんです。クルマにあった砕石場の作業服に着替えて先輩の隣に乗ろうとしたら「運転できるよね? 運転してみる?」と言われて運転席へ……。
ダンプより長かったから少し緊張したけど、動きだすとすぐに慣れ、夕方の帰宅ラッシュの時間でしたが、会社から積み込み先の大手運送会社までは30分ほどで着きました。
「運転は合格だね。そこに横付けして」と言われてトラックを停めると、「観音(バン型車の両開きのリアドア)を開けるから」と言われました。しかし、ダンプには観音がないから、開け方も知らなかったんです。
その観音を開け、ボディのサイドに固定し、いよいよホーム着けです。トラックとトラックの間の狭いスペースで、前に頭を出すスペースもほとんどありません。
観音が開いているせいで、さっきより車幅が増えてしまい、隣のトラックのミラーに当てそうで本当に怖かったです。メチャメチャゆっくりでしたが、先輩に誘導されてなんとかホーム着けできました。
ホームに上がると雑貨のホームに女がいることが珍しかったらしく、一気に他社のドライバーさんの視線が私に突き刺さりました。でも、男性ばかりの採石場で7年半働いていたから、もうヘッチャラです。
雑貨のホームでは、PDTと呼ばれる荷物に付いているバーコードを読ませる端末を使います。
操作方法を教えてもらい、発送が始まりました。コンベアに荷物がたくさん流れてきて、その中から先輩が積む荷物を引き込みながら端末でバーコードを読ませるのです。振り返ると先輩は私が引き込んだ荷物をきれいに積み上げています。
この箱バンいっぱいに積み上げるのは大変だろうなって思いながら、自分に与えられた仕事をこなしていましたが、1時間ほどすると先輩が来て「今度は積み込みしてみるか?」。重たい荷物が多くて必死でしたが、様子を見に来た先輩は「初めてにしてはきれいに積むな」と褒めてくれました。
コンベアに流れる荷物はバイトの子が引いてくれるようになったので、先輩に教えてもらいながら一緒に積んだのですが、重さも形もバラバラで、悩みながら積んでいると「次々に荷物がくるから、悩む時間はないよ」と言われて焦った覚えがあります。
3時間ぐらいして積み上がった時に社長が私を迎えに来ました。社長は先輩に私の様子を聞いていたんですが「女だから無理だろうと思ったけど、この子はなかなかやりますよ」って言ってくれたんです。
先輩は「うちの会社はしんどいけど頑張れよ」って言って、出発して行きました。先輩のお陰で採用され、翌日から早速出勤です。