「時間を守る」ということ
その会社では初めは4トンの冷蔵車で小・中学校に牛乳を配達する仕事をもらいました。夜の8時に出勤して牛乳工場に移動、そこにいた会社の人に教えてもらって学校別に仕分けをして積み込みして出発。同じ会社に2トン車に乗っている女の子がいたから嬉しかったですよ。
私のコースには紙パックの学校が1件もなくて、全部ビンでした。重たくて時間がかかってしまい、はじめは配達完了して帰って来るのは昼でした。ようやく慣れてスピーディに仕事をこなせるようになった頃、一難去ってまた一難、今度はぎっくり腰になってしまいました。
痛いけど代わりの人がいないから休めないし、なんとか出勤して運転して積み込みして……。誰もいない真っ暗な深夜の学校で、給食室の牛乳専用の冷蔵庫にケースを入れるんですが、多い学校は20kgのケースが20とか30ケースあるんですよ。
トラックの乗り降りで一苦労して、降ろすぶんをトラックのケツまで引っ張ってきて、降ろして冷蔵庫まで抱えて行って冷蔵庫に入れて……。搬入が終わったら空瓶の回収をしなきゃいけないんですが、空瓶でも10kgほどあるから腰が悲鳴を上げていました。
15件の配達が終わったのは11時半。ギリギリ間に合いましたが、給食のおばちゃんに怒られました。遅くなったのは私の都合だから言い訳せずに謝りましたが、悔しかったです。
帰ろうすると、おばちゃんが来て「腰痛かったの? ごめんね、なにも知らずに怒ったりして」って謝られたんです。空瓶を積んでる時に見て気付いたんでしょうね。優しさに触れて泣きそうになりましたよ。いつもなら8時前には終わっている学校に11時半ですから、怒られて当たり前なのに……。
そのことで時間に間に合わせなきゃ迷惑をかけるということを肝に銘じるようになりました。確かにぎっくり腰をして遅れたのは仕方ないけれど、それは私の都合なんですよね。お客様にはまったく関係のないことなんです。
それ以来私は、どんなことがあっても安全に荷物を届けて、決められた時間までに配達を終わらせると誓いました。その決意はトラックを降りるまでずっと守り貫きました。
「寝坊したから」などのいろんな理由で延着をする人がいますが、それは個人の都合なんですね。事故渋滞にはまったとか災害の通行止めに引っかかったなどの不可抗力なら仕方ないけど、それでも怒るお客様もいらっしゃいます。
自分の仕事をきちんとこなして無事に荷物を届けて決められた時間を守ってこそドライバーだと思うんです。お客様は私達ドライバーを信用して荷物を待っているんだから……。その信用を生かすも殺すもドライバー次第なんです。
18年間のドライバー人生
私は女なので男の人より確かに非力です。積み込みは男性より遅いし、それで迷惑をかけていたかもしれませんが、お客様からご指名をもらうぐらい仕事はきちんとこなしていました。
「他のドライバーには任せられないけど、久美ちゃんだったら信用できる」と言われ、普段は自社便しか走れないコースをもらったりして、しかもドライバーとして最大の褒め言葉も何度も頂きました。
「久美ちゃんはいつもニコニコしているから、見ているコッチまで笑顔になる」。その言葉は、本当に嬉しかったですね。
私が約18年間やってこられたのも、お客様や先輩や仲間が温かく見守ってくれたからだとつくづくそう思います。嫌なこともあったけれど、今は楽しかったこと、嬉しかったことばかり思い出しています。
トラックに乗っていて本当によかったと思っています。トラックドライバーの中には、私なんか足元にも及ばないような素晴らしい人がいっぱいいます。仕事ができて責任感があって、優しくって……。
実は、私の彼がそんな人なんですが(最後にのろけてスミマセン)、どうか頑張っているトラックドライバーを温かく見守って欲しいと思っています。
※編集部より
くうさんに「素顔の自叙伝」を綴ってもらってから12年近くが経ちましたが、この後のくぅさんの人生もなかなか波瀾万丈でした。
実は、今も生まれ育った火の国でトラックに乗っているのですが、2016年4月の熊本地震の際には、自らも被災しながらも、全国から駆けつけたトラック乗りの仲間たちと共に被災地の支援に尽力しました。
くうさんのトラック乗りとしての人生はまだまだ続きます。
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