全国が三百余藩に分かれていた江戸時代は、お国ごとに個性あふれる文化があった。欧州はその拡大版と見るのがわかりやすい。国境があって違う言語をしゃべる人たちがいて、それぞれ異なる文化がある。だからこそ、車にもイタリア、フランス、ドイツとそれぞれの“味”がある。では、日本車“らしさ”は何? 今、売られている現行モデルのなかから最も象徴的な1台を例に出しつつ、各国の車らしさを考える。
文:鈴木直也/写真:編集部、Renault、citoroen
“お国柄”色濃かった欧州車に起きた変化
しかし、1990年の冷戦構造崩壊が、欧州にとって明治維新に匹敵する変化をもたらす。ベルリンの壁が破れ、中国が世界経済に参加すると、もはや鎖国状態ではどんな国も立ち行かない。グローバル化の大波が小さな国の文化をどんどん侵食しつつあるのが今の状況だ。
そんなグローバル化の荒波を、いちばん最初に受けたのが自動車だった。
昔から欧州の自動車大国といえば英仏独伊の4カ国だが、1970年代あたりまではそれぞれの国ごとに個性がくっきり分かれていてた。
英国はロールスロイス、ジャガーに代表される高級車とミニやライトウェイトスポーツ。フランスはシトロエンに象徴されるアヴァンギャルドな技術とデザイン、そしてルノー 5などのおしゃれなコンパクトカー。
ドイツはもちろんアウトバーンを背景としたベンツ、BMWなどの高性能サルーンと、ご存じポルシェ。イタリアは個性あふれるデザインのフィアット・アルファロメオや、みんなの憧れフェラーリ・ランボルギーニ……。
各国それぞれ、自国市場を中心とした商売をやっているのなら、これで別によかったわけだ。
ところが、主要国がEUで統合され、各種規制が共通化されたり物の流通が容易になると、勝ち組・負け組が明確になる。
シトロエンにみるドイツ車的価値観の隆盛
ここで勝利を収めたのが、ドイツ車的な価値観。すなわち、アウトバーンを高速で突っ走る動力性能とスタビリティ、精密感のあるボディ剛性や質実剛健なインテリアなどの魅力だ。
EU統合やそれに続く単一通貨ユーロの誕生によって、EU域内でドイツ製高級車がものすごく買いやすくなったことをキッカケに、欧州全域で「ドイツ車いいじゃん!」というブームが起きる。
これが、ドイツ以外の車に、自動車メーカーに、大きな影響を及ぼした。少なくとも、ミドルレンジ以上の車は、ドイツ車的なデザインや走行性能を備えていないと商売にならなくなったのだ。
象徴的なのは、シトロエンのC6とC5の違いだろう。C6は昔ながらのフランス車風味があってマニアには好まれたが、一定数以上の数を売ろうとしたらドイツ車風のC5を作らざるを得ない。
英国車でいえば、1960年代からのテイストをずーっと継承してきたジャガーXJが、X350系を最後にイアン・カラムデザインの新世代に変わったのもそう。また、ドイツ化に出遅れたイタリア車が新しいジュリアでまんま「イタリア版3シリーズ」に生まれ変わったのも同じ理由からだ。
高級車とはどうあるべきかという価値観は、ヨーロッパのみならず世界的にドイツ勢に支配されている。グローバル市場で戦うには、嫌も応もなくその土俵に乗っからざるを得ないのが現状だ。
最もドイツ車的でないのは日本車?
いっぽう、この“ドイツ的価値観”から意外にフリーなのが日本車だ。日本車のメインは、廉価なコンパクトカーや中級セダンあたりまで。
このジャンルは、コストパフォーマンスが高く信頼性に優れていれば、ブランドや生産国を問わずグローバル市場で評価してもらえる。
日本車は欧州勢に先駆けて北米市場に進出し、そこで大きなシェアを確保したが、その原動力はこのコスパと信頼性。アジアを中心とする新興国で強いのも同じ理由からだ。
ただ、コスパと信頼性だけだと「日本車ならではの個性って何?」と問われた時にちょっと苦しい。また、韓国や中国などの新興勢力から追い上げられた時、どう差別化を図るかという点も課題だろう。
この部分で、今の日本車が世界に誇れるのは、燃費性能の高さ。やはり、ハイブリッドやPHV、あるいはEVやFCVなど、エネルギー効率を高めるための技術開発を続けることが、今後の日本車生き残りのカギになるのではないかと思う。
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