2024年12月25日午後3時53分、スズキを世界的なメーカーへと躍進させたカリスマ経営者、鈴木修氏が悪性リンパ腫によって亡くなった。94歳だった。
文:ベストカーWeb編集部、写真:スズキ、ベストカー編集部
■スズキの売上高を10倍に育てたカリスマ経営者
「最後ですから、ごきげんよう。軽自動車は芸術品、守りとおして欲しいですね」。
2021年5月13日に行われた2020年度の決算説明会でスズキの代表取締役会長から退任を発表する際、鈴木修氏はこのようにコメントした。軽自動車を愛し、「現場」を愛し、スズキを世界的な自動車メーカーへと導いた偉大な経営者が、2024年12月25日、悪性リンパ腫のため亡くなった。
鈴木修氏は1930年1月30日、岐阜県益田郡下呂町(現在の下呂市)に生まれる。中央大学法学部を卒業後、中央相互銀行へ就職、1958年に取引先であったスズキの2代目社長・鈴木俊三氏の娘婿となり、同年4月にスズキへ入社。1963年11月には同社の取締役に就任している。
1978年にはスズキの代表取締役社長に就任し、その後40年間スズキの舵取りに従事、冒頭の挨拶を語った2021年5月まで代表職に就いていた。
社長就任時には約3000億円台だったスズキの年間売上高を3兆円規模まで成長させた(2023年度は5兆円を超えている)。インドやハンガリーでの事業拡大にも尽力、スズキの年間販売台数307万台(2023年通年/世界9位)の基礎を築いた。
日本自動車産業を代表する経営者であり、庶民の足である軽自動車の普及と発展に尽力。2019年には最後の大仕事としてトヨタと資本提携も決めている。
「安くするために軽くするという考え方は、スズキのクルマ作りの原点です。車体が一割軽くなると、コストも一割安くなる。そして、車体が軽くなったぶん燃費もよくなる。これはいまでも生きています」
鈴木修氏が語ったクルマ作りの原点は、いまのスズキのものづくりのありかたを支えている。
スズキが同日配信した公式発表によると、「故人の遺志により、葬儀は納骨まで近親者にて内々に執り行いました。ご弔問の儀ならびにご香料、ご供花、弔電などの儀は固くご辞退申し上げます。」とのこと。また、後日「お別れの会」を開催する予定(日時・場所とも未定)とも発表された。
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