最近のホンダ車を見ていると、N-BOX、N-WGN、新型フィットと失敗作が少ないように思います。
その反面、失敗を顧みないチャレンジングなクルマもあまり見かけなくなったのも事実です。
また、ホンダは成功する時はめちゃくちゃ成功し、失敗するときはめちゃくちゃ失敗する、というイメージがあります。
はたして本当にそうなのか、ホンダの失敗作と成功作を見ながら検証していきたい。
文/清水草一
写真/ベストカー編集部 ベストカーWEB編集部
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チャレンジ精神がなくなったから失敗作もなくなったのか?
ホンダの現行四輪ラインナップを見ると、「なかなか手堅いな」と感じさせる。近年新規に発表したモデルで大コケしたのはジェイドくらい。それも元は中国市場向けなので傷は浅い。
国内でまったく売れてないレジェンドやアコード、インサイトも、すべてベースは海外向けだ。現行レジェンドは全世界で大コケ状態ですが……。
逆に軽自動車の世界ではおおむねハズレがない。N-BOXの大ヒットもあり、現在国内販売を背負って立っている。
しかし過去を振り返ると、ホンダの四輪車の歴史は失敗の連続、死屍累々だった。一代限りで消えた車名のなんと多いことか! その中からほんのわずかな大成功モデルが現れて業績を支えてきた。
つまり近年のホンダの商品企画は、かつてに比べるとチャレンジスピリットが消え、安全運転になっているわけですが、今回はそんなホンダの失敗作と成功作を取り上げてみましょう。
■失敗作:ホンダ1300(1969年6月発売)
まずは死屍累々の失敗作列伝から。 1969年に発表されたホンダ初の小型乗用車(FF)。
本田宗一郎の信念により空冷エンジンを搭載していた。1.3Lで100馬力と非常にパワフルだったが、F1での空冷エンジンの失敗同様、うまくいかなかった。
凝った設計により空冷なのにエンジンが重すぎ、その結果過度のフロントヘビーで操縦性も悪化するという悪循環に陥ったのだ。
結局わずか3年で消滅してシビックにバトンタッチしたが、失敗を教訓に大成功につなげたのは、ホンダ流挑戦ビジネスの元祖と言えるでしょうか。
■失敗作:CR-Xデルソル(1992年3月発売)
「サイバースポーツ」で人気を得たCR-Xを、思い切って電動メタルトップオープン化して失敗。歴史に残る珍車になった。
ホンダの十八番・スポーツ路線から快楽志向への方向転換は、しっかり時代の先を読んでいたが、いかんせん早すぎ、電動メタルトップのメカも未完成だった。ホンダ創世記に多かった「先を行き過ぎ」の代表例。
■失敗作:アスコット/ラファーガ(1993年10月発売)
1990年代からホンダも多品種化へ向かい、セダンのラインナップが多様化していく。
そんななか、登場したアスコット/ラファーガは、バブルの流れを汲んだ高級志向のスポーツセダンで、直列5気筒エンジンをフロントミッドシップに搭載して前輪を駆動するという、非常に凝ったメカだった。
そのエンジンフィールは絶品で、マニア的には傑作だったが販売は低迷。一代限りで消滅した。ホンダに少なくない「凝りすぎて失敗」の例です。
■失敗作:2代目ホンダZ(1998年10月発売)
ミドシップ4WDの軽自動車だが、操縦性向上のためにミドシップ化したとは到底思えない腰高ぶりで、ミドシップなので当然スペース性は不利。後席は座面が高すぎて窮屈だし、ラゲージも狭かった。
試乗会でエンジニアに「何のためのミドシップなのかまったくわかりません」と言ったら、怒って席を立ってしまったが、結局ミドシップのためにすべてを犠牲にして何も得られず、これまた凝りすぎの大失敗作となった。買えるのは意欲だけでした。
■失敗作:アヴァンシア(1999年9月発売)
オデッセイとステップワゴンでミニバンムーブを巻き起こしたホンダだったが、〝走り命〟志向はまだ消えていなかった。世のオトーサンたちも本音では、重心が低くて見た目が速そうなクルマに未練を残していた。
そこを狙って?登場したのが、かつてのアコードエアロデッキを彷彿とさせる砲弾型のフォルムを持ったアヴァンシアだった。
が、3ナンバーボディ(全長4700×全幅1790×全高1485mm)の広い室内を定員5名でゼイタクに使うコンセプトは、世のオトーサンたちにとって「欲しいけど買えない」という存在に終わり、販売は終始低迷したのでした。
現在のジェイドの失敗も、どこかアヴァンシアに通じるものがある。時代が変わったせいで、ジェイドを欲しがる声はほとんど聞かれませんでしたが……。
■失敗作:エディックス(2004年7月発売)
前後3人乗りシートの定員6名というコンセプトは、フィアット・ムルティプラと同じだが、前後とも中央のシートを独立してスライドさせることで、6人でも比較的ゆったり乗ることができるのは独創的だった。
子供ひとりの3人家族が前席に並んで座れるというのも、ひとりっ子世帯の増加に合わせたもので、潜在需要はありそうに思えたが、全長の短さに対して全幅が広がって(1795mm)3ナンバーとなったことや、室内の広々感で本格ミニバンに対抗できなかったため、ステップワゴンやストリームなど3列シートミニバンの牙城をほとんど崩せず、野望は砕け散った。
デザイン的にもムダにウェッジシェイプで、古典的な走り志向が消えておらず、どっちつかずの欲張りすぎな失敗作となったのでした。
■失敗作:クロスロード(2007年2月発売)
2代目ストリームをベースにした、SUV風のフォルムを持つ3列シートミニバンで、見た目は当時若者に絶大な人気があったハマー風。
つまり「ハマーみたいなのに実は便利な3列シートミニバン」という構成で、いかにも売れそうにも思えたが、価格設定が高かったこともあり、想定外の不振に終わった。ホンダらしい欲張りすぎ……というより、八方美人で失敗したモデルと言えるでしょうか。
■失敗作:CR-Z(2010年2月発売)
リーマンショックの不況下、国内ではハイブリッドカーブームが巻き起こり、プリウスとインサイトが激突していたが、そんななかでもホンダの走り命DNAが炸裂し、ハイブリッドスポーツ、CR-Zが登場した。
見た目はかつてのCR-Xの再来で、いかにも走りそうだったが、実際にはアンダーパワーの上にアンダーステアで(特にCVTモデル)、走る楽しさに欠けていた。
もちろん実用性も低く、燃費もそれほど優秀ではなく、販売はまったく振るわず。時代に合わせて二兎を追った末の惨敗だった。
このほか、ホンダで一代限りで消滅したモデルとしては、アスコットイノーバ、エアウェイブ、エリシオン、エレメント、オルティア、キャパ、ザッツ、ゼスト、ドマーニ、トルネオ、ビート、モビリオ、ラグレイト(日本)、ロゴ、HR-V、MDX(日本)、S-MX、S2000(五十音順)のほか、かろうじて2代目まで生き延びたドマーニや、復活したのはいいが復活してから1代目で終わったバモスなどがある。
これらはすべてが失敗作ではなく成功作もあるが、ホンダは車名を比較的簡単に変えるので、実質的な後継モデルが別の名前で登場するケースが少なくない。これもまた後腐れなく前へ進む企業風土の反映でしょうか。
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