毎年、さまざまな新車が華々しくデビューを飾るその影で、ひっそりと姿を消す車もある。
時代の先を行き過ぎた車、当初は好調だったものの、市場の変化でユーザーの支持を失った車など、消えゆく車の事情はさまざま。
しかし、こうした生産終了車の果敢なチャレンジのうえに、現在の成功したモデルの数々があるといっても過言ではありません。
訳あって生産終了したモデルの数々を振り返る本企画、今回はダイハツ アプローズ(1989-2000)をご紹介します。
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文:伊達軍曹/写真:DAIHATSU
■ダイハツ初の独自開発によって生まれた テールゲートを備えた5ドアセダン
それまではトヨタの車台を使って小型乗用車を作っていたダイハツが初めて完全自社開発した、玄人筋からは高く評価された5ドアセダン。
しかし発売直後、燃料タンクの設計に起因する不幸な火災事故が起こり、それを大新聞がセンセーショナルに報じたことでいきなり失速。そしてそのまま1代限りで終わってしまった悲運の佳作。それが、ダイハツ アプローズです。
まずは1989年のジュネーブショーに「MS-X90」というコードネームで参考出品されたこの車は、「喝采、称賛」という意味を持つアプローズ(APPLAUSE)という車名で1989年7月に発売されました。
シンプルビューティと言えるボディは、一見した限りでは普通の4ドアセダンに見えます。
しかし実際は、バンパーレベルから開く大型のテールゲートを備えた5ドアセダンでした。セダンとしての「フォーマル性」と、ハッチバックとしての「実用性」を兼ね備えた車だったのです。
このようなスペックを伴って1989年7月に発売されたアプローズは、ダイハツが設定した「月販3000台」という目標には届かなかったものの、当初は月販1000台ほどのペースで売れていました。
カローラなどの競合がひしめいていた当時のこのジャンルの中では「最初は健闘していた」と言うことができるでしょう。また冒頭付近で申し上げたとおり、玄人筋はアプローズの実直な走行性能と実用性を高く評価していました。
しかし1989年11月、アプローズの給油口から噴き返したガソリンに何らかの火が引火し、ガソリンスタンドの従業員がやけどを負うという事故が起こってしまいました。
さらには走行中のアプローズのエンジン付近から出火し、その車が全焼するという事故も発生。
ダイハツはアプローズのブレーキ系統と燃料タンクに不具合があったとして、当然ながらすぐさまリコールを届け出ました。
しかしこれらの火災事故を某新聞社が大々的に報じたことで、ダイハツ アプローズは発売から半年もたたないうちに好ましくないイメージが世間一般に浸透した側面もありました。
その後、ダイハツはさまざまなテコ入れやマイナーチェンジなどをアプローズに対して行ったのですが、一度失墜したそのイメージは、二度と回復することがありませんでした。
そしてアプローズは2000年3月に生産終了となり、同年5月には販売終了となったのです。
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