「聖地」閉鎖の噂は本当!? 日産の礎・追浜工場はどうなる?

「聖地」閉鎖の噂は本当!? 日産の礎・追浜工場はどうなる?

 日産が発表した経営再建計画では、人員や車両生産工場の削減が公表されたが、閉鎖対象の工場には「追浜工場」が含まれるとの報道があった。日産は報道を否定したが、日産にも日本の歴史にも重要な意味を持つ追浜工場はどうなるのか!?

※本稿は2025年6月のものです
文:井元康一郎/写真:日産
初出:『ベストカー』2025年7月10日号

【画像ギャラリー】日産の「聖地」追浜工場はどうなる? 追浜から栃木工場へと生産が移管される新型日産 リーフ(16枚)画像ギャラリー

日産の“聖地”追浜工場はどうなる?

2025年5月13日に発表された経営再建計画「Re:Nissan」。ゴーン氏のリバイバルプランを超える再建計画となりそうだ
2025年5月13日に発表された経営再建計画「Re:Nissan」。ゴーン氏のリバイバルプランを超える再建計画となりそうだ

 高すぎるコスト削減のためのリストラを急ぐ日産自動車。グローバルで生産拠点を7カ所閉鎖するという方針が示されるなかで飛び出したのが、閉鎖の対象に神奈川県の追浜、湘南の2工場が含まれているという噂だ。

 日産は一部報道に対し、公式には「憶測に基づいたもので当社が発表したものではない」とコメントしているが、稼働率は現状で50%を下回っており、閉鎖の可能性は決して低くない。

 追浜工場は歴史ある生産拠点である。日産初の乗用車専用工場として操業が開始されたのは64年前の1961年だが、その前身は横須賀海軍航空隊が1912年に初めて設置した追浜飛行場。

 太平洋戦争当時は飛行機の先端技術開発を行う海軍航空技術廠が実験機を飛ばす飛行場としても活用された。敗戦間際に開発されたロケット戦闘機「秋水」の初飛行もここで行われた。追浜工場の敷地内には今も格納庫の建屋が残っている。まさに日本の戦前戦後産業史の遺産である。

 その由緒ある追浜工場を閉めるのは日産にとっては断腸の思いだろうが、再建への険しい道のりを考えれば背に腹は代えられない。

 かつてはインフィニティのモデルの一部もここで作られ、指で隙間をなぞるだけでドアの隙間を0.1mm単位で言い当てる熟練工を多数擁する世界の日産の“マザー工場”であった。

 今日ではバッテリーEVのリーフも栃木工場に移管され、残る生産モデルは国内専用のノート、ノートオーラの2車のみ。この状況を見るかぎり、閉鎖へのカウントダウンは着々と進んでいると見ていい。

追浜工場全景。日産のみならず、日本の歴史にも非常に重要な意味を持つ
追浜工場全景。日産のみならず、日本の歴史にも非常に重要な意味を持つ

 仮に追浜工場が閉鎖された場合、どういう形を取り、どのような影響が出るのだろうか。

 まずは閉鎖の形態だが、生産部門のみとなる公算が大だ。追浜は生産だけでなく開発機能も有しており、2025年5月に年間500件のテストを行う能力を持つ新しい衝突実験棟を稼働させたばかり。

 それらを廃止してほかに新たな設備を作るとは考えにくく、おそらく追浜総合研究所という名称で残ることになるだろう。

 それでも追浜周辺の部品メーカーや、地域社会へのマイナス影響は甚大なものになることは避けられそうにない。追浜工場の雇用の大部分は生産部門であり、それが消えれば追浜エリアは一気にゴーストタウン化が進む公算大だ。

 それを少しでも防ぐには、広大な工場跡地の有効活用がマスト。跡地を少しでも高値で売りたい日産としても、いい再生プランを持つ事業者が出てきてほしいところだろう。

 最もシンプルで費用も抑えられるのは追浜工場を居抜きで活用する業者への一括売却だが、自動車製造は重工業的な巨大装置産業であり、他分野のメーカーにとっては工場の規模が過大だ。他の自動車メーカーとしても市場が縮小している日本で工場を増やす意味合いは薄く、期待はできない。

 再開発する場合、ニュータウン建設など住宅地への転換はハードルが高い。長年自動車製造を行ってきた同地は土壌汚染の可能性が高く、土壌改良するには多額の費用と手間がかかる。また横須賀市は人口減少傾向にあり、突然ニュータウンを作っても高付加価値を得るのは簡単ではない。

 商業用地への転換という手もあるが、その場合交通インフラの脆弱さ、周辺人口の少なさなどがネック。遠方の客を呼べるようないいプランが出ないかぎり失敗に終わる公算大だ。

 現実的に取れる策は分割分譲で工場誘致を頑張るくらい。自治体としてはメガソーラー化だけは避けたいが有効手は少なく、当面はイバラの道が続きそうだ。

追浜工場では現在ノート、ノートオーラを生産。閉鎖となれば九州工場移管が有力
追浜工場では現在ノート、ノートオーラを生産。閉鎖となれば九州工場移管が有力

●日産追浜工場
・敷地面積:169万9000平方m
・従業員数:約3900名 ※24年10月31日時点
・生産品目:ノート、ノートオーラ、リーフ(生産終了・新型は栃木工場)
・年間生産能力:約24万台
※敷地面積、従業員数は総合研究所、追浜試験場、追浜専用埠頭を含む

■追浜工場の主な沿革
●1961年
・中央研究所(現総合研究所)、追浜テストコース完成
・ブルーバード生産開始
●1965年
・日産初の車両衝突安全実験施設完成
●1969年
・実車風洞実験設備稼働開始
●1975年
・全天候実験室稼働開始
●1978年
・生産累計500万台達成
●1987年
・高速周回路東側バンク改修
●1992年
・生産累計1000万台達成
●2003年
・キューブ生産開始
●2006年
・グローバルトレーニングセンター開設
●2007年
・グランドライブ竣工・生産累計1500万台達成
●2010年
・ジューク、初代リーフ生産開始
●2012年
・シルフィ生産開始
●2014年
・来場者数310万人達成
●2016年
・ノートe-POWER生産開始
●2018年
・リーフe+生産開始
●2021年
・ノートオーラ生産開始

●日産の国内車両生産工場の生産能力(概数)
・追浜工場:約24万台
・日産車体湘南工場:約15万台
・栃木工場:約19万台
・日産車体九州工場:約12万台
・九州工場:約50万台

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