これまで日本にはたくさんのクルマが生まれては消えていった。そのなかには、「珍車」などと呼ばれ、現代でも面白おかしく語られているモデルもある。しかし、それらのクルマが試金石となったことで、数々の名車が生まれたと言っても過言ではない。
当連載では、これら「珍車」と呼ばれた伝説のクルマや技術などをピックアップし、その特徴を解説しつつ、日本の自動車文化を豊かにしてくれたことへの感謝と「愛」を語っていく。今回は、ラリーでの活躍を期待されて誕生することとなった、日産パルサーGTI-Rを取り上げる。
文:フォッケウルフ/写真:日産
日産がWRCに満を持して投入したWRCカー
1980年代後半、世界ラリー選手権(WRC)は「グループB」の廃止を受け、量産車ベースの「グループA」規定が主流となっていた。この規定では、年間5000台以上の生産をクリアした市販モデルをベースに参戦する必要があり、メーカー各社は「ホモロゲーションモデル」と呼ばれる高性能車を次々と市場へ投入した。
トヨタはセリカGT-FOUR(ST165、ST185)、三菱はランサーエボリューション、スバルはインプレッサWRXといった車種を、順次開発して販売。日産もこうしたライバルたちに対抗し、WRCにおける栄光を狙ったモデルの開発に着手した。
当時の日産にはスカイラインやブルーバードといった競技ベースに適した車種が存在したが、過酷なラリーの舞台でより効率的に戦うにはコンパクトで軽量なハッチバックが理想とされた。その条件を満たしたのが、1989年に登場した4代目「パルサー(N14型)」だった。欧州を中心に販売されていた小型車であり、ラリー用ベースに適した能力を有していた。
1990年、パルサーをベースにしたホモロゲーションモデルであるGTI-Rが市販化された。特徴は数多あるが、なかでも強力なターボエンジンの搭載と、日産が誇る4輪駆動力最適制御システム「ATTESA」の組み合わせによって実現した走りは、モータースポーツで勝つための特別なモデルであることを強く印象付けた。
2Lという排気量から絞り出される230psという数値は、1990年当時はトップクラスのスペックだった。しかもただのハイパワーではない。ターボラグを抑制して中回転域から厚みのあるトルクを発揮するセッティングとすることで、瞬発力と扱いやすさを兼ね備えていた。アクセルを踏み込んだ瞬間、ドライバーの背中を強烈に押し出す加速感はSR20DETの真骨頂だった。
エンジン直上には大型空冷インタークーラーを装備。熱気を効率よく冷やすこのシステムは、吸気温度を下げ、安定したパフォーマンスを引き出すために不可欠なアイテムだった。ボンネットには巨大なフードバルジが設けられ、「ただ者ではない」と感じさせる迫力を演出していた。
スペックだけを追求しているわけではなく、ラリーという極限の舞台を想定して強靭な耐久性を備えていたのも見逃せない。苛酷な環境でも最後まで走り切るタフさは、まさにモータースポーツ直系の血統であることを物語っている。
そしてチューニング耐性も忘れてはならない。ノーマルで230psという出力を発生しながら、吸排気系やタービン交換などの変更を施せば、その能力は300psを超える領域まで容易に引き上げられる。ベースのポテンシャルはもちろん、チューニングでパフォーマンスアップが楽しめるという点も含め、SR20系エンジンが「日産が生んだ傑作ターボ」と称される理由と言える。








コメント
コメントの使い方自分はこのモデルの1600cc版である、X1-Rに乗っていたのでとても懐かしい記事だ。
車体の剛性感が高く、ハンドリングの通りに曲がってくれて、運転のしやすいとても良いクルマだった。
夢のある車種であり、現代のGRヤリス並みに話題をかっさらった一台です。
しかし国産ライバルたちの大活躍の陰で負け続けた。それはGRと違い、レースやラリーの道で鍛える事をせずに販売を急いだから。
わが社の最新高性能を小型に詰め込めば当然勝てるだろう、という開発の驕りがありました。
一番大事で大変な「道で鍛えフィードバックし戦える車に変える」を行ったのはプライベーターたち。