ベストカー本誌の過去記事から名企画・歴史的記事をご紹介する「ベストカーアーカイブ」。今回は2013年の企画「ホンダの栄光と失敗」より、浮沈を繰り返したホンダの歴史とそのたび現れたエポックメイク・チャレンジングな新技術・新型車たちを振り返る!(本稿は「ベストカー」2013年6月10日号に掲載した記事の再録版となります)
文:永田恵一/写真:ホンダ
軽トラックT360が自動車メーカーとしての出発点
1946年に創業したホンダは、1963年に軽トラックのT360で四輪に参入した。
T360は軽トラックでありながら、当時超貴重だったDOHCエンジンを日本で初めて搭載。最高出力は4気筒の360ccで30馬力(発生は8500回転!!)と、周りの軽自動車が20馬力程度だったことを考えると驚異的で、四輪1号車からホンダがエンジン屋であることを象徴するようなクルマであった。
このT360のエンジンは、1962年に開催された「全日本自動車ショー」に出展されたS360に搭載されたエンジン。結局S360は市販されず、同時に展示されたS500が1963年8月に登場することになるのだが、ファイナルドライブにチェーンを使用するなど、二輪メーカーだったホンダらしいアイデアが盛り込まれたクルマであった。
Sシリーズは1964年にS600、1966年にはS800へと排気量を拡大しつつ進化をし、1970年をもって生産を終了した。第二次隆盛期とその後の衰退期の端境期である。
Sシリーズはクルマ好きには高く評価されたものの販売的には振るわず、また「ホンダ1300」の大失敗も手伝い、この時期ホンダは業績を大きく落とすこととなった。
その状況下で「起死回生」とばかりに1972年に登場したのが初代シビックだ。
初代シビックはコンパクトながら、室内の広いオーソドックスな実用車だったことが「大きいことはいいことだ」という風潮も強かった当時は非常に新鮮で、上級車から乗り換えるユーザーも多く出るほどの人気を集めた。
さらに当時アメリカで「クリアすることは不可能」という声も多かったマスキー法と呼ばれる厳しい排ガス規制が施行され、ホンダは初代シビックにCVCCエンジン(副燃焼室を設けた排ガスの前処理機構)を搭載し、世界で初めてマスキー法をクリア。
シビックはマスキー法のクリアに加え、低燃費だったことも第一次オイルショックが起きた当時は追い風となり、アメリカでも大人気となっただけでなく、ホンダのブランドイメージも一気に向上させた。この時期が第3次隆盛期。
1982年登場の2代目プレリュードは、それまでのスペシャルティカーにデートカーという要素を盛り込み大ヒット。
技術的にも前輪のダブルウィッシュボーンサスペンションに加え、日本初の四輪ABSを設定するなど、技術的にも意欲的だった。
1985年に登場した3代目アコードは、スペースやコスト的な問題で困難といわれていた四輪ダブルウィッシュボーンサスペンションを量産FF車としては世界で初めて採用。
空気抵抗も4ドア車では珍しいリトラクタブルヘッドライトの採用などにより、当時としては世界トップレベルのCD値0.32を達成した意欲的なクルマだった。
室内は広く乗り心地にも優れた4ドアサルーンで、スポーティな雰囲気も魅力的だった。

ホンダエンジンがF1を席巻していた1987年に登場した3代目プレリュードは、世界初の4WSを搭載した。3代目プレリュードの4WSは前輪と後輪をセンターシャフト(鉄の棒)で連結した機械式。
ハンドルを切る量が少ないとき(高速コーナーなど)は後輪も前輪と同方向に切れスタビリティを向上させる。
逆にハンドルを切る量が多いとき(車庫入れなどの取り回し、低速コーナーなど)は後輪は前輪と逆方向に切れ小回り性能や回頭性の向上に寄与するというもので、大きなインパクトを与えた。






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