同じクルマをあちこちの路上で見かける――つまり販売台数の多いクルマだが、そうしたクルマはいったいどれくらい売れて、何がヒットの要因になったのか? 今回は代表的な“爆売れ車”にスポットを当てていく。
文:長谷川 敦/写真:トヨタ、日産、フォルクスワーゲン、ホンダ、CarWp.com
【画像ギャラリー】街を席巻した伝説のヒット車たち(17枚)画像ギャラリーライバルとの切磋琢磨が販売を伸ばす
●トヨタ カローラ
「売れたクルマ」というテーマで欠かすことができないのがトヨタのカローラだ。
1966年、高度経済成長期のただ中にあった日本でカローラが誕生する。
世界に通用する日本車を作り出したいという気概で生まれた初代カローラの開発コンセプトは「80点主義+α」だった。
実用性を含めて十分な性能を発揮するとともに、遊び心も満たす「80点主義+α」は、この時代に豊かになりつつあった日本の一般サラリーマンを中心にした購買層の心に刺さり、カローラはいきなり驚異的な販売台数を記録した。
初代カローラは累計生産台数100万台を記録するとともに、日本国内はもとより海外への輸出も行われ、1970年にデビューした2代目カローラも初代の成功を引き継ぐヒットモデルになった。
このように、時代の流れを巧みにとらえたカローラの売り上げはモデルチェンジを重ねても好調を維持して、1997年には、累計販売台数においてそれまで頂点に君臨していたフォルクスワーゲン ビートルの記録を更新した。
その後もカローラは売れ続け、2021年7月には世界累計販売台数5000万台を達成している。
カローラが成功した理由は初代のコンセプトに集約されていて、一般人に手の届く価格のモデルながら、決してチープではなく十分な高級感を確保するとともに高性能を発揮したことにある。
現行型のカローラは通算12代目にあたり、バリエーションも拡大して、クルマが多様化した現在でも世界的大衆車の地位を守り続けている。
●日産 サニー
世界で最も売れたクルマになったトヨタ カローラには、真っ向から戦ったライバルが存在していた。
カローラが登場したのと同じ1966年に発売された日産 サニーがそのクルマで、当初はサニーの1000ccエンジンに対して、1100ccのカローラが「プラス100ccの余裕」というキャッチコピーで挑戦状を叩きつけた。
サニーは日産が開発した大衆向けのモデルであり、カローラと同様に実用性と適度な高級感、リーズナブルな価格を武器に、高度経済成長期の勢いにも乗って好調なセールスを記録した。
カローラとのし烈な販売合戦は「CS(カローラ・サニー)戦争」ともいわれ、1990年代初頭のバブル経済期まで激しい戦いを展開した。
しかし、日産自体の勢いが失速した1990年代中盤から低迷期に入ると、2004年には後身のティーダに譲るかたちで日本国内での販売を終了した。
1977年11月には国内登録累計300万台を突破。さらに1982年2月には累計生産台数700万台を達成するなど、サニーの残した足跡は大きい。
世界が認めた大衆車
●フォルクスワーゲン タイプ1(ビートル)
トヨタのカローラに抜かれるまで累計販売台数の世界記録を持っていたのがドイツ・フォルクスワーゲン ビートルことタイプ1
1938年に量産試作車が完成し、1945年に本格的な製造が開始されたタイプ1の目的はドイツ国民全員が安価で丈夫なクルマを購入できるようにすること。
開発責任者には、後に自動車メーカー・ポルシェの創業者になるフェルディナント・ポルシェ博士が就任し、さまざまな困難を克服してタイプ1は完成した。
そのタイプ1がリリースされると、実用性と耐久性の高さに加えて安価な販売価格によって、ドイツ国内だけでなく、短期間で世界的ヒットモデルへと駆け上がった。
メーカー名の「フォルクスワーゲン」自体が「国民車」を意味する言葉であり、タイプ1はその目論見を実現してみせた。
当初はシンプルにタイプ1と呼ばれていたこのクルマは、やがてその風貌から「ビートル(カブト虫)」と呼ばれるようになり、後年には正式な車名として採用されている。
初代フォルクスワーゲン ビートルは、1938年から2003年まで累計約2153万台を記録するロングセラーとなったが、基本的な設計を変更せずにここまで販売台数を伸ばしたという点においては、カローラを上回る成功ともいえる。
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