『マクラーレンとホンダが提携を解消する』。その噂が現実となる時が近づいている。“かつてのマクラーレン・ホンダ”はセナ、プロストを擁し、16戦15勝という圧倒的な強さを誇った。
当時は現役メカニック、現在はジャーナリストとしてF1の現場を見続ける津川哲夫氏は、当時と今のマクラーレン・ホンダに“大きな違い”があると言う。
マクラーレン・ホンダの2017年成績は現段階で10チーム中9位。だが、その“大きな違い”は、すでにシーズン開始間もない段階で、津川氏の眼に映っていた。
文:津川哲夫/写真:Mclaren、Honda
ベストカー2017年5月26日号
16戦15勝実現の背景にあったホンダの姿勢
3シーズン目ながら初期トラブルから這い出せないホンダパワーユニット(PU)。そして、F1マシン作りの初歩的なトラブルを解消できずにいるマクラーレン。
両者ともに歴史ある老舗だが、現状は経験のない新興チームの暗中模索といった感は免れない。マクラーレン・ホンダの栄光は何処に消えてしまったのか。
現在のマクラーレンにもホンダにも、1980年代の強烈な怒濤の時代の名残は欠けらもなく、新しい会社と新しいチームになっているのは仕方ない。
マクラーレンと第2期ホンダ時代。1988年はターボエンジンの最終年、マクラーレン・ホンダは、アイルトン・セナとアラン・プロストという希有な名手を擁し、16戦15勝を成し遂げた。F1史に燦然と輝く記録だ。
この年、ホンダは完全にチャンピオンを取りに来ていた。チャンピオンになるために、あらゆる手段を講じた。
トップドライバーの起用と、湯水のように予算を使った開発も、そこに勝算が在るからこその支出であった(もちろん、その額は近年に比べれば僅かなものだが)。
そして、勝利にはエンジンや車体、ドライバーだけではなく、政治的にも物事を有利に運ばなければならず、当時のFISA(国際自動車スポーツ連盟)やFOCA(F1製造者協会)のボス達に対して、時には狡猾に、時には正面から威圧的に、飴と鞭を使い分けてきた。
結果、レギュレーションはホンダに味方し、1988年を席巻する大記録に繋がった。
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