2000年代初頭頃までは、一部のスーパーカーのみしか実現できなかった500馬力超という最高出力は、今では珍しい存在ではなくなってきた。
いっぽうで「500馬力オーバーの車」は、優に1000万円を超える価格となり、簡単に体感できる世界ではない。そんな「500馬力オーバー」の持つ意味は、ここ25年で大きく変わっていた!!
文:西川淳/写真:NISSAN
500馬力車“一般化”の契機になった車は?
このギョーカイに入って間もない頃、つまりは25年ほど前まで、体験できる最高出力といえば国産車の自主規制280psがせいぜいで、オーバー500psのクルマなんぞ夢のまた夢、それこそF1マシンかグループB&Cカー、ロードカーならマクラーレンF1やフェラーリF50といったごく一部のスーパーカー、まったくもって浮世離れした世界の存在でしかなかった。
潮目が変わったのは世紀も変わってメルセデスベンツがSL55AMGを発表してからだったと思う。5.5L、V8スーパーチャージドエンジンは500psを発揮。巧みな電子制御のおかげでFRにもかかわらず素人でも500psを味わうことができた。
そこから感覚が麻痺しまくりはじめる。スーパーカーの世界では今や、500psはおろか、600psでも700psでも動じない。
何なら1500psのブガッティ シロンだってフツウに乗れてしまう。Dセグメントクラスの高性能スポーツセダンでさえ500psを謳う時代なのだ。電子制御の進化が“麻薬”となり、もはや500psを怖れることなど、まるでなくなってしまった。
昔の“ピュアな”オーバー500馬力車は「恐怖」だった
そう考えるとその昔、せいぜい300psを謳っていた国産スポーツカーを、街の有名チューナーが改造して作り上げたピュアなオーバー500psこそ、ホンマモンだったのかも知れない。
電子制御によってじわじわと出力を放出するのではなく、エンジンの性能曲線そのままに、そしてタイヤのグリップ状態にかかわらず、パワーを駆動輪へ伝えてしまうチューニングカー。そのオーバー500馬力は、恐怖以外の何ものでもない。
筆者のガレージにもその昔、一度だけそういうチューニングカーが収まったことがある。800psを発揮するというフレコミのZ32型フェアレディZ。F1用タービンや、フェラーリF40&F50用ブレーキなど、金に糸目をつけずに改造された、魂の一台だった。
とにかく、ビビりまくりながらアクセルを踏んだものだ。踏み込むたびにクルマが粉々になってしまうような錯覚に捕われた。加速中もずっと粉々気分だ。
タイヤの接地フィールなどないに等しく、文字どおり、すっ飛ぶように走った。それでも直進安定性だけはよかったが、あまりに凶暴なため、何回か乗ってそれ以上乗ることを封印した。
馬力むき出しのエンジンに、魂ごと引き抜かれるような気がして、怖くなったのだ。
以来メーカー製500馬力以上しか試乗することはなくなった。一度だけ1200psのランボルギーニ ディアブロのチューンドカーに乗ったが、ついぞフル加速には挑戦しなかった。
ライオンを猫だと思って抱きしめろと言われて、ハイそうですかと、素直に抱くバカはいない。
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