「平成」の日本自動車界において、高級車の代名詞と呼べるクルマがあった。その名も「セルシオ」。国内最高峰というだけでなく、登場時には世界中のセレブから注目を集め、欧米の並みいる高級車メーカーがこぞって研究対象としたと言われている。
そんなセルシオ、デビュー時から注目を集めていたのだろうか。鳴り物入りで登場したのか。当時を知る自動車ジャーナリスト、片岡英明氏にお話を伺った。
文/片岡英明 写真/TOYOTA
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■高級車ブランドであるレクサスを企画したきっかけ
1980年代、トヨタは大躍進を遂げた。積極的にニューモデルを開発し、パワーユニットを新世代へと切り替え、シャシーを進化させ、狭角のハイメカツインカムも生み出し、エレクトロニクス技術にも磨きをかけている。
そうしてフルラインナップ化を進め、世界のトップメーカーに肩を並べるべく邁進していたが、80年代の後半まで、トヨタになかったものがある。
それが世界の富裕層が認める、上質なプレミアムセダンだ。
もちろん、トヨタには1967年からセンチュリーがあり、国内VIPから愛されていた。だが、これはお抱え運転手が運転する法人向けのショーファードリブンだ。使う用途が限定され、オーナー自らがステアリングを握り、運転を楽しむクルマとは違う。
オーナー向けの高級車としてはクラウンがあった。
だが、これは日本専用に設計され、海外に出ることはほとんどない。日本の道に合わせて開発された、日本向けの高級車だった。
その頃、トヨタが自動車を作り始めてから50年以上が経った(1933年9月、豊田自動織機製作所(現・豊田自動織機)内に自動車部が開設)。だから首脳陣もエンジニアも、世界が認めるプレステージ性の高い、超のつく高級セダンの誕生を望むようになったのである。
そこで高級車ブランドのレクサスを企画し、海外で販売網を構築した。
■最高・史上の意味を持つ「セルシオ」と命名
世界に通用するグローバルカーのピラミッド構想の頂点に据えたのが「LS」だ。
開発の目標に掲げたのは、飛び抜けて高い静粛性とアメリカの燃料税をクリアする低燃費の達成である。また、ヨーロッパでの使用を考えて、クラストップレベルの動力性能と最高速度250km/h達成を目指した。
エンジニアは「源流対策」と「技術革新」という2つの要素を、高い次元で両立させるために多くの新機構と新しい技術を積極的に採用している。
レクサスLS400は1989年1月のデトロイトとロサンゼルスのモーターショーでベールを脱いだ。発売前から大きな話題を呼び、老舗のメルセデスベンツやキャデラックなども注目している。
エクステリアは高級車にふさわしい、エレガントなデザインだった。
日本ではトヨタ店、トヨペット店のフラッグシップと位置付けられ、「セルシオ」と命名された。「セルシオ(CELSIOR)」は、ラテン語で「最高」や「史上」を意味している。日本での発売は同年10月だ。東京モーターショーのトヨタブースにも展示され、熱い視線を浴びた。
時代を先取りしたプレスドアを採用し、先進性と威厳を上手にミックスさせている。
特筆したいのは、静粛性と燃費向上のために徹底してエアロダイナミクスを磨いたことだ。ベンツなどはハイデッキスタイルを採用していたが、セルシオのデザイナーは低いトランクの美しいシルエットにこだわった。
ボディの断面形状を工夫し、フロアまでも整流してセダンとしては世界トップレベルのCd=0.29を達成している。
また、剛性を高めながら軽量化という難題にも挑んだ。高張力鋼板とアルミニウム、樹脂などを積極的に採用し、電気によるスポット溶接が可能な制振サンドイッチ鋼板も導入した。
源流対策では騒音と振動の原因となるエンジンからの発生音と振動を徹底して抑え込んでいる。遮音材の採用に加え、エンジンのアンバランスな部分の解消にも真面目に取り組んだ。
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