1966年に初代が登場したトヨタ カローラは、2021年で55年という節目を迎えた。その節目の年にカローラは、世界累計販売台数5000万台を記録したのだ。
カローラの伝統は、時代・ユーザー・国など、さまざまな変化に対応しながら守られてきた。そして、世界中で愛されるクルマとなっている。急速に進んだグローバル化のなかで日本と世界での需要が乖離し、米国や中国で売れても日本では売れなくなるクルマが多いなか、カローラは非常に稀有な存在ともいえる。
そこで本稿では、カローラが日本と世界で、ともに支持される理由を考えていく。
文/佐々木亘 写真/TOYOTA
【画像ギャラリー】累計5000万台記念! カローラの特別仕様車と全歴代モデルを画像で振り返る(16枚)画像ギャラリー■日本でも世界でも売れるカローラの今
カローラが登場した1966年は、日本におけるマイカー元年と言われる年だ。日産のサニー、トヨタのカローラが発売され、日本のモータリゼーションは、この2台がリードする形で進んでいった。
以降、カローラは大衆車の決定版として君臨し、モデルチェンジを繰り返しながら、日本国内でトップクラスの販売台数を維持し続けている。クルマにあまり詳しくない人でも、カローラの名前は知っているのではなかろうか。まさにカローラは、日本の国民車と言える。
1968年には、北米への輸出が始まった。これを皮切りに、現在では世界150以上の国と地域で販売され、海外生産拠点も年々増加している。
カローラは、国内仕様と海外仕様をしっかりと作り分け、地域の事情に合わせて、仕様の異なったモデルを販売し、大きな支持層を世界中に形成した。現在のトヨタが、グローバル企業として発展する原動力を作ったのが、カローラなのである。
■市場に合わせて形を変えるカローラの柔軟性
昨今の日本車は、海外に目を向けて作られることが多い。輸出や現地生産が当たり前になり、国内での販売台数よりも、世界販売台数の方が多くなっているのだから、大きな市場を無視できないのは理解できる。
注目市場は欧州や北米、そして中国だ。国産車がニュルブルクリンクで走行試験をおこない、エグゼクティブ仕様のクルマが増え、ボディ全幅が拡大していくのは、海外市場を主眼に置いた販売活動が前提となっているためである。
結果として日本車が、日本で使いにくくなっていった。日本の法定速度をはるかに超えた、高速域での走行安定性を高めるため太いタイヤを履き、小回り性能を犠牲にする。車体の踏ん張りを効かせるために全幅を拡大して、5ナンバー枠(1700mm以下)に収まるクルマは大きく減った。
このように、日本市場を無視した世界単一モデルが登場し、国内の販売台数を大きく落としている。
こうしたなか、カローラだけはいつの時代も、その国や地域に寄り添ったクルマ作りをおこない続け、そのなかでも頑なに、母国である日本のニーズを汲み取り続けた。わざわざ、国内仕様と海外仕様を分けて生産する姿勢には、カローラが日本の大衆車であり国民車であるという自負が垣間見える。
多くの日本人が初めて手にしたクルマであろうカローラは、いつの時代も日本人に寄り添い続ける。その心は世界へ広がり、世界中のユーザー一人一人を、日本人と同じように見つめ続けるのだ。世界的に見れば、各地域で作り分けをおこなう稀有なクルマであるが、それが世界累計販売5000万台の販売実績を作り、世界一となる原動力になったのだと思う。
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