2021年6月、40年以上にわたり社長・会長としてスズキの経営トップを務めた鈴木修氏が会長職を退任しました。日本屈指のカリスマ経営者が去り、スズキは新しい年を迎えました。
鈴木修氏によるワンマン経営が知られていたスズキ。そんな”顔役”が経営の第一線から退いた今後のスズキはどうなるのでしょうか?
スズキの経営、そしてスズキ車への期待と不安に迫ります!
※本稿は2022年1月のものです
文/佃モビリティ総研代表・佃 義夫
写真/スズキ
初出:『ベストカー』2022年2月26日号
■スズキといえば鈴木修流経営で知られてきたカリスマ
スズキと言えばイコール鈴木修流の経営で知られてきた。スズキを半世紀近くに渡りけん引し、国内では「軽自動車の雄」の地位を固め、インドでは圧倒的なシェアを獲得し世界的自動車メーカーに押し上げた立役者だ。それでもなお「俺は浜松の中小企業のおやじ」を自任してきた名物カリスマ経営者だった。
「生涯現役」を公言してきたその鈴木修氏が2021年6月の株主総会で代表取締役会長の座を退いた。
私は、鈴木修氏がまだ東京支店駐在の社長になる前から新聞記者として取材し、1978年の社長就任来、数多くのインタビューをして、仕事以外でもお付き合い願った。社長・会長時代を通じておそらく最も多くの取材をこなしたと自負している。
こうした縁から昨年、自ら経営の第一線を退くと表明したあとの5月連休前に浜松本社で二人だけで昼食・面談する機会を得た。さらに6月の株主総会直前に会長としての最後の公式インタビューをして、私の一番弟子の牧野茂雄氏著書による『初代ALTOと鈴木修の経営』(2021年10月発行)に織り込まれた。
■しっかりとスズキの行く末を見守っていくと語り、相談役へ
48歳の若さで社長就任した翌年の1979年に発売した初代アルトは当時排ガス規制などで窮地にあったスズキを救い、かつ軽自動車の革命を起こして今日の軽市場隆盛に結びつけた。また、鈴木修流経営の原点ともなったのだ。
「49の失敗と、51の成功。つまり51勝49敗だな」。今日の軽自動車の隆盛を育て上げ、インドでの成功とハンガリー進出での欧州戦略基地化など、独自の経営戦略が「鈴木修流」であった。
激動の自動車業界で存在感を示してきたスズキだが、「どこかで、何かでトップになるんだ」「いろいろな失敗もあったから成功したんだ」とインドなどでの成功は、挑戦による失敗もあったことの証しということを強調していた。
銀行マンからオーナー家に婿入りした鈴木修氏は、1930年1月30日生れで御年92歳になった。1981年に世界トップだった米GMと資本提携した時の会見で「GMが鯨でスズキがメダカなら呑み込まれるが、スズキは蚊のようなもの、いざとなったら蚊は飛んでいける」と言って退けたように”修(おさむ)語録”を数多く残した。
話しぶりはスローになったが、相変わらず数字に強く赤ペンを持ちながらの軽妙な語り口は健在だった。「引退しても、しっかりとスズキの行く末、軽自動車を見守っていく」と、相談役に退いた。
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