最古の国産バスは1930年代に誕生した国鉄バスだった!! バスの黎明期へタイムトリップ

最古の国産バスは1930年代に誕生した国鉄バスだった!! バスの黎明期へタイムトリップ

 名古屋市にあるJR東海の「リニア・鉄道館」には、国鉄バス第一号車が展示されている。現存する最古の国産バスとして、2021年10月に国の文化審議会による答申にもとづき、重要文化財に指定されることになった。バス車両の重文指定は初めてとなる。

(記事の内容は、2022年3月現在のものです)
文・写真/交通ジャーナリスト 鈴木文彦
※2022年3月発売《バスマガジンvol.112》『写真から紐解く 日本のバスの歴史』より

■名古屋の「リニア・鉄道館」に展示されている最古の国産バス

リニア・鉄道館に保存展示されている国鉄バス第一号車。重要文化財指定が決まった(2019年)
リニア・鉄道館に保存展示されている国鉄バス第一号車。重要文化財指定が決まった(2019年)

 この国鉄バス第一号車は1930年12月に開業した最初の国鉄バス(省営自動車)である岡崎~多治見間57.1kmと瀬戸記念橋~高蔵寺間8.7kmの岡多線に導入された7台のうちの1台。

 国鉄バスの車両については、当時端緒についたばかりの国内自動車産業育成の見地から、国産車を使用することとなった。

 この車両は東京瓦斯電気工業の「T・G・E」MP型で、全長約7m、座席定員20人と、当時のバスとしては大型であった。ほかに石川島自動車の「スミダ」も採用されている。

 東京瓦斯電気工業はその後、石川島自動車の後身の自動車工業と合併、東京自動車工業、ヂーゼル自動車を経て戦後1949年にいすゞ自動車となる。またヂーゼル自動車の日野工場が分社した日野重工業が日野自動車の前身である。

 岡多線に続き、1931年5月に三田尻(現防府)~山口間の三山線(のちの防長線)が開業する。

現在も走り続ける防長線の1970年代の姿。まだ1960年代の深緑とベージュのカラーが主流 関西〜九州で見られた富士重工の三菱MR470型(1973年山口駅)
現在も走り続ける防長線の1970年代の姿。まだ1960年代の深緑とベージュのカラーが主流 関西〜九州で見られた富士重工の三菱MR470型(1973年山口駅)

 そして1934年までに北海道では札樽線(苗穂~手宮ほか)、東北では十和田線(青森~和井内)、関東では北倉線(安房北条~千倉ほか)、近畿では亀三線(のちに亀草線/亀山~三雲ほか)、四国では予土線(のちに松山高知急行線/松山~久万)、九州では佐賀関線(幸崎~佐賀関)と、全国に国鉄バスが走り始める。

 なお、第一号の岡多線はのちに瀬戸南北線などに変わり、民営化の際にJR東海バスに引き継がれたが、2009年9月末でJR東海バスは一般路線から撤退したため、現在残るJRバス最古の路線は中国JRバスの防長線で、2021年に90周年を迎えた。

 国鉄バスはその性格上、国鉄の鉄道との関連のもとに路線が選定されることになり、国鉄バスの路線選定基準は鉄道の「先行・短絡・代行・培養」が“4原則”とされた。その後の展開は基本的にこれに則った展開であった。

 官民共同で国産車の育成に取り組んだ国鉄バス第一号車は、のちに商工省標準型に発展する。

 その車体を製造した脇田製作所の流れを汲むのが帝国自動車工業(その後日野車体工業を経て現ジェイ・バス)で、戦後は日野車の標準ボディとなるが、商工省標準型の名残もあって国鉄バスの指定車体メーカーのひとつとなり、日野だけでなくいすゞのシャーシにも帝国のボディを架装したバスが多かった。

 日野車体に変わったのちの1983年までいすゞへの架装があり、国鉄バスの大きな特徴のひとつであった。

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