長年のホンダ「CB」由来論争、ついに決着? 実は○○○を意味していた!?

長年のホンダ「CB」由来論争、ついに決着? 実は○○○を意味していた!?

 ホンダのスポーツバイクに冠されてきた「CB」の車名。その由来には諸説あり、ハッキリしていなかったが、ついに決定的な証言が? 先日開催されたCBミーティングで有力な説が発表されたのだ!

 
文/沼尾宏明 Webikeプラス
 

元ホンダ名物広報がトークショーで調査結果を報告!

 1957年に登場したCB92スーパースポーツ以来、ホンダの様々なバイクにつけられてきた「CB」の車名。なぜCBとネーミングされたのか? これまで由来に様々な説があり、明確にはわからなかった。

 しかし、2024年4月7日に開催された「2024年CBミーティング・リベンジ in 袖ヶ浦フォレストレースウェイ」で、CBの由来に関するトークショーが実施。元ホンダ広報の高山正之さんが車名に関する「決定版」と思われる談話を披露したのだ。

 

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ホンダの名物広報だった高山正之さん。1974年に本田技研工業に入社し、40年以上にわたって主にバイクのメディア関連業務を担当。「ホンダ二輪の生き字引」として二輪雑誌関係者から多大な信頼を受けてきた。2020年に定年退職し、現在は愛車のカブを楽しみながらイベントなどで活躍している。

 

 

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司会は、ミーティングを主催したWITH ME代表の丸山浩さんが担当。CBファンなら誰でも参加できるイベントで、パレードラン、耐久レースなどと同時開催された。

 

 今までCBの由来として、「Clubman Race」「Clubman」(バイククラブによるレース,あるいは参戦ライダー)説、北米仕様の車名がCAなので次の高性能スポーツモデルとしてCBとした説、「クリエイティブ・ベンチマーク」説、MotorcycleのCとBetterのBを組み合わせた説などが挙げられてきた。

 結論から言えば「MotorcycleのCとBetterのB説」が有力。しかし「Clubman」でいいのでは……ということになる。この経緯には1950~1960年代におけるホンダの文化が色濃く影響しているのだが、詳しくは以下をご覧いただきたい。

 
 
 

草創期のアルファベット順から、「管理番号」の時代へ

 「CB誕生前夜とネーミングの謎」と題したトークショーで、まず高山さんが「カビが生えるような話で恐縮ですが」とユーモアを交えつつ、ホンダの第一号車から話をスタートさせた。

 ホンダが最初にネーミングした車両は、1947年に発売した「ホンダA型」。次にB型、C型と開発され、ホンダ初の本格バイクであるドリームD型が1949年に誕生する。ドリームという車名が登場したのはこのD型が初。現在も「ホンダドリーム店」のほか、スローガンである「The Power of Dreams」にもドリームという言葉は使用されているが、発祥はドリームD型からと言えるだろう。

 「夢のようなバイクを作ったことから“ドリーム”という名前をつけたんですね。これがドリーム誕生の由来です。これは間違いないです」と高山さん。

 

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ホンダ初の市販製品が1947年のホンダA型。自転車に後付けする補助エンジンだった。B型は試作、C型は短期間の生産に終わる。

 

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ドリームD型は1949年8月にデビュー。3PSを発生する98cc空冷2ストローク単気筒を搭載していた。

 

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完成二輪車第2弾が1951年に登場したドリームE型。ホンダ初の4ストロークエンジンは146cc空冷単気筒で、当時最新のOHVを採用していた。

 

 このようにABCDとアルファベット順にネーミングしていくと、すぐ車名が枯渇してしまう。そこで考案したのが車名を数字などの管理番号に置き換えていく方法だった。

 高山さんがこの話を直接聞いたのは、当時のホンダに在籍し、スーパーカブC100やCB750フォアの実質的な開発責任者である原田義郎さんからだった。

 ホンダはまだ四輪車を生産していなかったが、将来作るであろうと見越し、二輪にはMotorcycleのC、四輪にはAutomobileのAを車名に付け、二輪四輪を区分けすることにした。

 さらに原田さんが「250ccは70番台、125ccは90番台、50ccは100番台という開発番号を付けた」という。なぜ250が70番台かはわからないようだ。

 例えば250ccの場合、70から始まり、モデルチェンジすると71、72と車名が変更される。125ccだと90から始まり91、92、50は100から始まるという具合だ。

 この管理番号を初めて車名に採用したモデルが1957年のドリームC70。モーターサイクルの「C」と250ccの第一号車である「70」を組み合わせた車名だ。

 

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管理番号のルールを初めて採用したドリームC70。創業者の本田宗一郎氏による神社仏閣スタイルが有名だ。ホンダ初の2気筒を搭載し、性能は抜群。250cc4ストロークエンジンは、当時画期的なSOHCを採用しており、18PSを発生した。※筆者撮影

 

 

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管理番号が始まって最初に開発された50ccがスーパーカブC100。初代スーパーカブとして記念すべき1台であり、ホンダ躍進の原動力となった。1958年にデビュー。※筆者撮影

 

初のCBが誕生、元来BはベターのBだったが……?

 そして1959年、初のCBである「CB92スーパースポーツ」が登場する。前述のとおりCはモーターサイクル、92は125ccモデルを意味する。ではBは?

 「私が後に原田義郎さんから直接聞いた話なんですが、“Bはベター、つまりCycle Betterと僕は聞いた”」と高山さん。つまりCB=“よりよいバイク”という意味だ。

 

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CB92スーパースポーツは1959年デビュー。レースで打倒ヤマハを目指して開発し、ワークスマシンが18PS前後だった時代に、市販車で15PSを発生した。125cc空冷4スト並列2気筒を搭載。※筆者撮影

 

 とはいえ、発売後間もなくCB=クラブマン説が有力になっていた。

 当時は浅間火山レースが日本最大級のレースだったが、ライダーは個人ではなく、全国のモーターサイクル愛好会としてクラブ単位で参加。総じてアマチュアライダーの方をクラブマンと呼んでいた。

 CB92の発売直後、全日本クラブマンレースや第3回浅間火山レースで無名の北野元選手がいきなり優勝。ワークス勢を抑え、市販車のCB92で勝利したことから「CB=クラブマンというイメージがどんどん出来上がっていった」と高山さんは話す。

 「原田さんはそこで言い直したんです。“でもサイクルベターよりクラブマンの方がかっこいいよね。もう皆さんCBはクラブマンと呼んでるから、それでいいんじゃないの”」と高山さん。

 実際、CB92のカタログにはクラブマン用のキットパーツが多数掲載されていた。「CB92でスポーツをしてほしいとの願いが隠れていたのは事実ですね」と高山さんは語る。

 実際CB92をきっかけに“CBはホンダの凄いスポーツバイク”というイメージが定着し、大人気に。このイメージは以降も変わらず、CB750フォア、CB900F、CBX、CB1000Rほか数々のCBが誕生していく。さらにスポーツ性能を追求した「CBR」と分化し、現在もCBはスポーツバイクとして息づいている。

 

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Betterが本来の由来ながら、既に浸透しているCLUBUMANでもいいのでは? というのが高山さんや原田さんの持論。

 

 

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高山さんの私物である往年のカタログ。左のベンリィC92がカジュアル路線なのに対し、右のCB92スーパースポーツは当時のレーシングスタイルに身を包んだライダーが。馬力はCB92が3.5PS増の15PS、車重は10kg軽い110kgだった。CBはまさに「よりよいバイク」なのだ。

 

「CAの次だからCB説」「B=ブリティッシュ説」はどうなのか?

 なお「CAがあったからCBなのでは」という説に関しても、高山さんは意見を披露。

 「確かにCAはありました。1962年にアメリカ向けに販売したスーパーカブ50がCA100でした。50ccなので100番台、AはアメリカのAですね。ただしCA100は、CB92の3年後(1962年)なので、Aの次だからBという説はないと思います」

 また当時ホンダは英国のマン島TTの参戦を計画していた。そのため、Aがアメリカなら「Bはブリティッシュ」という説もあるという。

 これに関しても「CBの後にCAが登場したので、ブリティッシュという案は多分ないと思います。でも、そういう考えもどこかにはあったかもしれないし、社内で誰かがそう言い始めたというのもあったかもしれないですね」と高山さん。

 ちなみに、この複雑な車名は一般ユーザーにはわかりにくい。そこで、当時の副社長だった藤沢武夫さんが排気量による車名を提案。1964年にCB92がモデルチェンジした際、「CB125」という排気量表示になった。この辺りから基本的に排気量が車名に入るようになったとのことだ。

 

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アメリカ用のCA100(写真)は、CB92の3年後にあたる1962年に登場。「順番からしてCAの次がCBとはならないのでは」と高山さん。

 

記録を紙に残さず、ひたすら次に進む、そんな時代がCBを生んだ?

 まとめると、CBは「サイクルベター」が本来の語源としては有力だが、「クラブマン」であってもいい。高山さんとしても断言はしていない。ずっとCBのネーミングの由来があいまいなままだったのは、高山さんに言わせると「ホンダは紙に書いて残そうとしていなかったから」のようだ。

 「ホンダは特にこの時代(1950~1960年代)、設計図はさすがに残しますけど、今日終わったことはもう忘れて、明日のこと、もうどんどん次のことをやっていきます。いちいち紙に書いて残すことはあまりやらなかったんですね。頭の中に残ってりゃいいよねと。

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