今回は、カワサキがマッハⅢと共にラインナップしていた350/250ccクラスの2サイクル3気筒モデルについて紹介していきます。
2気筒から3気筒への変遷
1966年、カワサキはアメリカ向けに開発した2サイクル2気筒250ccのロードスポーツモデル「SAMURAI(サムライ)250」を発売しました。
他社をリードする高性能で一躍ヒットモデルとなりました。
日本においては、1966年8月に「250-A1」の車名で発売がスタートしました。翌1967年には、精悍なアップマフラーを装着した250-A1SSが追加されました。
※カタログは個人所有のため、汚れや破損があることをご了承ください
そして、1967年には250A1をベースとした350A7を発売しました。
1967年当時の日本では、2サイクルのライバルメーカーのヤマハは350ccの「R1」、250ccの「DS5-E」をラインナップ。カワサキと同じ高性能を謳う2気筒エンジンを搭載していました。
一方スズキでは、250cc2気筒のT250の登場前夜ということで、2サイクル勢ではカワサキとヤマハが一歩リードしていましたが、年々競争が激化していくことは予想できました。
インジェクトルーブという、クランク大端軸受に直接給油する潤滑システムを採用して信頼性を高めています。
500-SSマッハⅢの誕生
1969年9月、2サイクル並列3気筒500ccのエンジンを搭載した500-SSマッハⅢが国内で発売されました。
1か月前に発売されたホンダCB750FOURとともに、新しい時代の高性能スポーツモデルとして、二輪業界に衝撃を与えたのです。
このマッハⅢは、350と250にも大きな影響を与えました。
1970年に入ると、ヤマハは350ccクラスにスタイリッシュなRX350を投入してきました。
ホンダは4ストローク2気筒のCB350エクスポートで対抗するなど、魅力的なモデルが登場しました。
カワサキは、250と350のモデルチェンジを図り魅力を向上させました。
革新的な2サイクル3気筒の350-SSが誕生
1971年、カワサキの2サイクル3気筒のスーパースポーツ第2弾として、350-SSが登場しました。
カタログには、40前に何が起きたのかを語っているものはありません。
川崎重工のホームページで歴史を辿ってみると、このような記述がありました。
「1931年(昭和6年)にはアメリカの高級トラックをモデルにした1.5トントラックの試作車を完成、翌年から“六甲号”の名称で、トラック・バスの生産を開始しました。1933年(昭和8年)からは“六甲号”乗用車の製造も始め、高級乗用車として宮家などに納入しました。」
350-SSのテールアップデザインは、川崎車輛がデザインから製造まで手掛けた高級乗用車の六甲号まで遡ることになるようです。
350-SSは、マッハⅢと同じく右側に2本、左側に1本のマフラーを配置して、カワサキならではのテールアップデザインで好評を博しました。
そして、翌1972年には、250cc初となる2サイクル3気筒の250-SSが誕生しました。
250-SSの発売によって、カワサキの2サイクル3気筒シリーズは、250ccから750ccまでの4車種のラインナップが完成したのです。
1974年、250-SSをモデルチェンジ。350-SSは排気量をアップして400-SSにモデルチェンジされました。
車重も6kg増えてマイルドな性格になりました。この1975年の250-SSが、SSとしては最終モデルになりました。
400-SSは、350-SSに比べ最高出力を落として最大トルクをあげたエンジン特性にしました。
SSからKHへ
1970年代の二輪車を取り巻く社会のイメージは、暴走族や不正改造、交通事故の多発などにより、とても低いものでした。メーカー各社は、安全運転の普及活動や二輪車のイメージアップに取り組むと同時に、製品開発においては、最高出力よりもゆとりをもって走行できるような方向性に変えていきました。
カワサキの2サイクル3気筒シリーズは、SSからKHへと名称を変更し少しマイルドなエンジン特性が与えられました。
250-SSはKH250に、400-SSはKH400に継承されました。
詳細はこちらのリンクよりご覧ください。
https://news.webike.net/motorcycle/480808/
カワサキ「350SS / 250SS」=2サイクル3気筒エンジンの革命車=【カタログは時代を映すバックミラー 第8回】【画像ギャラリー】
https://news.webike.net/gallery3/480808/480878/
































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