■同期なのに先輩になってしまったよ
そして、もう一人欠かせない人がいる。「Tぴー先輩」だ。この方は本当は同期で同い年なのに、グループ会社違いですでに一年早く現場に出ていた。気が付けば同期が先輩になっていた、なんとも不思議な関係である。
仕事でもプライベートでも、彼とはとにかく一緒にいた、まるでマブダチだ。男女の友情は基本的に存在しないと思っていた私ですら「本当にあるんだな」と思ったくらいだ。Tぴー先輩は、天然なのかどうか分からないが、たまにこちらが「?」になることをする。
突然、掃除の実演会を始めたり、山の案内が大の苦手な私にいきなり山の問題を出してきたりだ。「ずっと一緒に居続けたので影響されまくって大変だ」とよく言っていたが、口癖が移っていたらしい。たぶん、それだけ多くの時間を一緒に過ごしていたのだろう。
■「辞めたい」を何度も救ってくれた
時には喧嘩して、怒って、泣いて、笑って。そんな日々が、私のバスガイド人生を色濃くしてくれた。周りの人に支えられながら、私は何とか続けてこれたのだ。辞めたいな、と本気で思った時期も何度もあった。そんな時に、D先輩が決まってこう言ってくれた。
「いや!アンタはバスガイド向いてるよ!辞めるのは簡単なんだから、まだ辞めちゃダメだよ!!」その言葉に、私は何度も救われてきたことか。だから今、ちゃんと伝えたい。何度も“もう辞める宣言”を聞いてくれて、本当にありがとうございました。
そのたびに先輩は、どこか楽しそうに笑いながら「本当に辞めたら教えてね」って返してくれた。あの軽やかな一言が、私にはすごく優しくて、重くならずに踏ん張れる魔法のようだった。社会に出てすぐに仕事を辞めてしまう人が以前より多くなっている。それも時代の流れなのかもしれないが、良い人間関係で踏ん張れることは多い。どんな職業の方も少しは踏ん張ってほしいと今だから願う。
D先輩との思い出で、もうひとつ忘れられない場面がある。よく私とT先輩、そしてSちゃんで“台数”を組むことが多く、その時は自分たちのことをチーム「フレッシャーズ」なんて呼んでいた。名前だけ聞くと元気いっぱいだが、現実はバタバタで内心ヒヤヒヤの連続チームだった。
そんな時にD先輩はどんな場面でも「大丈夫、大丈夫!!」と背中を押してくれた。しかも韓国語を勉強していた先輩は、それをわざわざ“合言葉”みたいにして、満面の笑顔で言うのだ。「ケンチャナ、ケンチャナ!!」(編集者注:韓国語で「問題ない」のニュアンスを含んだ言葉)
あの一言で、肩の力がすっと抜け「よし、やるしかない」と前を向けた瞬間が何度もあった。バスガイドを辞めてからも、D先輩は止まらなかった。沖縄でリゾートバイトをしたり、職業訓練に通って求職活動をして就職。環境が変わっても、挑戦とバイタリティーを忘れない。すごいのは、どこに行っても周りの人まで巻き込んで、気づけば友達をたくさん作ってしまうところだ。
そんな姿を見ていると、「辞めること」自体がゴールではなく、辞めた先でも前に進み続ける人がキラキラして見えるのだと分かる。D先輩は、私にとってまさにそういう存在だった。大好きで、憧れで、見ているだけで眩しい先輩だった。
■戦友は一生の宝物
仲の良い先輩や同期が、一人、また一人と辞めていく。虚しくなる気持ちと、それでもバスガイドが好きで続けたい気持ちが、いつも交錯していた。会社を辞めていく人たちが、なぜかキラキラして見えた。新卒で何年も同じ会社にいたからなのかもしれない。新しい場所へ行き、きっと苦悩と葛藤を抱えながらも、ふとバスガイド時代を思い出してクスッと笑っている人もいるのだろう。
バスガイドは、いろんな苦楽や修羅場を乗り越える仕事だ。苦楽を共にした仲間は一生の戦友になる。私にとってみんなが大切な「戦友」だ。友達の一言では片付けられないくらい大切な存在である。いつかまた3人でバスガイドとして“台数”の仕事ができたらいいな。そんな夢を見るほどだ。
本稿で言いたかったのは、「新卒で出会った同期の存在は一生の宝物になる」だ。バスガイドに限らず、どんな職業であっても若い時代に同じスタートラインに立った仲間を、どうか大切にしていただきたい。心から、そう願っている。
バスガイドの失敗談を通じて、若い読者には今は分からないだろうがきっと将来そう思うから覚えておいていただきたいのと、社会経験豊富な読者にはご自身が若いころのことを思い出すきっかけにしていただければと思っている。
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