筆者・交通ジャーナリスト・鈴木文彦が、約50年に及ぶ取材活動の中で撮影してきたアーカイブ写真。ここから見えてくる日本のバス史を紐解くこの記事で以前、路線バスのワンマン化の経緯について紹介した。
バスのワンマン化は1960年代後半にスタートし、1980年代ごろに完了するが、多くの事業者で導入開始から大半がワンマンになるまでの期間は10年程度であった。
そうすると、もちろんワンマン化とともにワンマン仕様の新車が入っていくものの、すべてを新車に代替するにはそのスピードが速すぎたともいえる。そこで採られたのが、既存の車両をワンマン化改造してまかなう手法であった。
(記事の内容は、2022年9月現在のものです)
文・写真/交通ジャーナリスト 鈴木文彦
※2022年9月発売《バスマガジンvol.115》『写真から紐解く日本のバスの歴史』より
■高級化の波で余剰の出た貸切バスを活用した
既存車両の改造によるワンマン化は全国的に見られたが、中でも当時スピーディーにグレードアップしていく必要があったため、車両代替が進んでいた観光貸切バスは、比較的車齢の低い車両に余剰が出る傾向が見られたため、ワンマン改造の種車としては最適であった。
当時は貸切バスといっても乗合バスと車両構造的な違いはほとんどなく、全長もまだ12mフルサイズが主流ではなかったため、車両の転用にあまり支障がなかったことも背景としてある。
そうはいっても貸切バスの仕様はフロントガラスが大きく、側窓も引違いのいわゆる「メトロ窓」が主流だったので、2扉ワンマン車に改造すると、観光バスのムードを持った独特な外観になるケースが多かった。
貸切バスのワンマン化改造は全国的に見られた傾向だが、中でも改造車の数が多く、外観にも特徴があった九州産業交通のケースをまず見ていただこう。
トップの写真は西日本車体の三菱B805N貸切前扉車を改造したもので、側面中央のメトロ窓2つをつぶしてそこに中扉折戸と方向幕を増設、フロントは天井までの広いフロントガラスはそのまま前構を改造して箱型の大型方向幕を窓下に設置。
そしてこれは九州産交だけの特徴だったが、前照灯は貸切時代のベゼルや装飾グリルをすべて外し、新たに昔の古い車両を彷彿させるような丸2灯を装着していた。
九州産交のワンマン化改造を一手に引き受けていた熊本市のイズミ車体に取材にお邪魔したことがある。ちょうど富士重工の日産ディーゼルRA50Pに中扉を設置しているところだった。
このように地元にノウハウを持つ工場があるところが改造車を多く持つ傾向はあったが、北村製作所などのボディメーカーや大手事業者の工場でも引き受けていたので、改造工場によっていろいろな形状が見られた。