鉄道が廃止になると、駅舎など付帯設備の行末は「壊す」「記念に残す」「放置」のいずれかだ。ただしごく稀に、長〜〜い間バスの設備として現役を続行するケースも見られる。
文・写真:中山修一
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■東京じゃないほうの広尾
「広尾」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、東京都渋谷区にある町かもしれない。Web検索して最初に出るのも渋谷区の広尾だ。しかしここでの広尾の所在地は北海道。
北海道に中心線を引いて最も下・突端部分に位置する襟裳岬から、海外線沿いを北東に45kmほど進んだ先に広尾町がある。人口およそ6000人を擁する港町で、サンタクロースの故郷ノルウェーが認めた「サンタランド」が町のシンボルになっている。
この広尾には、1932〜87年までの55年間、国鉄の鉄道路線「広尾線」のレールが、十勝エリア最大の都市・帯広から伸びており、広尾駅は国鉄広尾線の終点だった。
■バスターミナルへの華麗なる転身
広尾駅の駅舎は1977年に一度建て替えられている。比較的大きく、横長で切妻屋根を持ち、正面に傾斜を強調したデザインの装飾を施した、特徴のある外見をしていた。
1987年2月に国鉄広尾線が廃止になると、帯広方面には十勝バスが鉄道代替バスの運行を始めた。広尾駅があった場所はバスターミナルに変わったが、駅舎は取り壊されず、そのままバスの待合所と切符等の発売窓口に転用された。
1987年7月には駅舎のリニューアルが行われ、広尾線の鉄道記念館を兼ねたバスの待合所になった。屋根の中央部分に鐘楼が取り付けられたのも、この時期だったようだ。その後は大きく姿を変えることなく現役を続行した。
広尾町の大通りの正面奥に駅舎が建っており、大通りに入り前へ進むにつれてだんだんと大きくなってくる、特徴的な駅舎のシルエットを目の当たりにする度に「広尾へ来たなぁ」と実感できるランドマークでもあった。
■鉄道設備10年・バス設備31年
国鉄広尾線の面影を色濃く残した広尾のバスターミナルであったが、廃線から31年経った2018年に転機が訪れた。同年2月に広尾町役場が、元・駅舎の老朽化を理由に建て替えを決めたのだ。工事に組まれた予算は3,527万円。
2018年6月6日〜7月31日を解体工事期間に充て、実際の作業開始は6月16日。駅舎の建物に重機の刃が入ったのは6月22日と思われる。解体の後に片付けを経て、2018年12月に新しいバスの待合所が完成した。
建物のキャリアを見ると、鉄道駅時代が約10年だったのに対して、バス待合所は約31年と、バスの付帯設備として働いていた期間のほうが3倍以上長かったわけだ。