生活を脅かすバスの問題を様々な視点から考察するオピニオンのシリーズ「バス運転不足問題」、今回は多くの立場から同時に考察した。
文/写真:古川智規(バスマガジン編集部)
(写真はすべてイメージで本文とは関係ありません)
■バス事業者はどこを向いてきたのか?
バス事業者は国民の生活の足を守る重要な二次交通機関であるとともに、昨今では都市間を直結する高速バスにより鉄道の幹線路線を代替する交通機関でもある。
日本の景気が悪くなりもう何十年にもなるがバス事業者はその間、なるべく利用者の方を向いて経営してきた感がある。景気が悪くても移動の需要はあるので、それに応えるべく鉄道や航空機よりも圧倒的に安い高速バスを多数運行した。経済状態が良くなくても、国民は安くて夜行なので時間が有効に使えるという点において決して遅いとは言えない高速バスに殺到した。
事業者は増発を重ね、定員を減らしてでも居住性をもっと良くしようと独立3列シートに行きつき、事業者とシートメーカーが特定事業者専用かつ夜行専用というものまで設置された。
シャシーメーカー(バスのボディーをつくる会社)も夜行に合わせた専用仕様を開発して乗客のスペースを1ミリでも多く稼ぎ出し、当時としては今考えても過剰ともいえるサービスのバスが次々と登場した。
■全盛期の高速バス
現在とは需要が異なるために必ずしも最高とは言わないが、当時はスーパーハイデッカーの独立3列シートが基本だ。そして階下にトイレがあり、階段まわりには緑茶・コーヒー・紅茶が並び給湯器を利用していつでも自由にお茶を楽しむことができた。
長距離便では、さらにサロンスペースを設けて正座席以外でくつろいでもらうスペースまで提供した。携帯電話がない時代なので、自動車電話サービスを利用した公衆電話が車内に備わり、黄色の100円硬貨専用電話または、緑色のテレホンカード専用電話が設置されていた。
スマホやUSB規格がない時代で電装品を持ち歩くことが多くなかったので、コンセントはない場合がほとんどだった。事業者によっては冷たいドリンクや保存のきく軽食が提供され、かなりぜい沢なバス旅ができた。
■サービス維持のため
経済状況がさらに悪くなると、事業者は供給過多で採算が取りにくい路線から撤退し始め、ある程度の整理がついた。それでも運行する路線ではコストがかかっても割引や乗客サービスは一定に保ち、事業者は路線を維持した。
ツアーバスの台頭でそれまでの高速バスの収益が急速に悪化し、それらが一般の高速路線バスに移行すると、単純に価格競争になり従来のバス事業者では運賃で太刀打ちできなくなった。
ツアーバス系の高速バスはハイデッカー4列シートでトイレなしが標準で、定員が多く安い運賃で座席を提供したのだから当然だろう。全体的に夜行の車両がスーパーハイデッカーからハイデッカーになり、従来の事業者も4列シートの廉価路線を出さざる得なくなった。