物置から出てきた古い写真……そこには過ぎ去りしあのころ、輝いていた路線バスの姿が写っていた。ひょんなことから筆者が発掘した“お宝画像”を
文・写真:橋爪智之
構成:中山修一
(写真付き記事はバスマガジンWEBまたはベストカーWEBをご覧ください)
■かけがえのない「よくあること」
家の整理していたら、昔の写真アルバムが出てきて、ついつい掃除の手を止めて見入ってしまった…なんてことはよくあることだ。
先日、筆者も久しぶりに実家へ戻って、物置に放置されていた昔の乗り物の写真などを整理していたのだが、その中に大量のバスの写真を見つけた。
撮影年月日などをきちんと記録していなかったので、正直のところを言えば正確な年代などは分からず心苦しいが、筆者が日本のバスに執心していたのは中学〜大学生くらい、ちょうど昭和~平成初期の年代だ。
バスに興味があると言っても、全国各地を歩き回って(その時代の)古いバスを撮影しまくった…ということはない。
どちらかと言えば地元密着型で、自宅のある東京南西部、すなわち東急バスや京急バス・都営バスなどの限られた範囲で撮影していた。
バスが好きではあったが、特に専門家というわけでもなく、当時は駅前や道路上でのスナップ的な写真が中心だった。改めて見ると、鉄道撮影で定番の手法をそのままバスに持ってきたかのような撮り方をしている。
■あの頃の等々力操車場
ともあれ、せっかくなのでその実家に眠っていた平成初期の写真をいくつか紹介しよう。記事の転載サイトによっては写真が表示されない場合もあるので、全ての写真をご覧になる際はバスマガジンWEBを参照願いたい。
今回は、東京都世田谷区にある等々力操車場のバスシーンが写っているものだ。等々力操車場について簡単に説明すると、東急大井町線の等々力駅から隣の上野毛駅方向へ、5分ほど歩いた住宅街の中にひっそりと存在する。
バスを7~8台ほど止めることができるようだが、撮影当時は日中時間帯に実際に使用するのは3~4台分くらいで、そこへ入れ代わり立ち代わり、色々な系統のバスが入って来ていた。
その等々力操車場を発着するバス路線の中でも、とりわけ花形と言えるのが、今も昔も変わらず東京駅へ直通する東98系統だろう。今は減便されてしまい、共同運行だった都営バスも撤退して東急バス一社による運行となってしまった。
それでも山手線の外側から乗り換えなしで東京駅へ直通する、というのは特別なものを感じる。東急バスでは「自由が丘線」という路線名が付けられている。
■往年のブルーリボンやエアロスターが!!
撮影当時は、まだ都営バスが乗り入れていた時代で、かつて目黒駅前にあった東京都交通局目黒営業所が担当していたが、同営業所は2005年に閉鎖、港南分駐所に移管された後、2013年には同路線から撤退してしまった。
最近はルールが崩れているようだが、かつては営業所ごとにバス車両のメーカーが決まっており、都営目黒営業所は日野自動車を使用していた。写真にも、比較的初期型の日野ブルーリボンが写っている。
都営と同じく、東急も当時は営業所ごとに使用メーカーがだいたい固定されており、目黒営業所は日野といすゞが使用されていたが、1986年に都市新バスシステムを導入した際、当時の最新鋭だった三菱ふそうエアロスターを導入しており、以降は三菱車も見かけるようになった。
写真には古いモノコックボディの日野K-RC381や、いすゞK-CJM470などが写っているが、ワンロマ車の三菱ふそうU-MP618P(エアロスターK)の姿も見える。