古い写真から、あの頃を思い出す……38年前にタイムスリップして、東急バス瀬田営業所での“撮りバス記”をレポートする。東急バスファンも注目している有力な営業所。当時の様子はいかがなものだったろうか。
文・写真:橋爪智之
構成:中山修一
(当時の写真付き記事はバスマガジンWEBもしくはベストカーWEBをご覧ください)
■バスの写真を撮りに営業所へ行った日
最近、「昭和の頃は○○だった」という言葉をよく使う。もちろん冗談で、昭和の頃にはごく普通に出来ていたことが、平成を経て令和に至った現在、色々な事情によって難しくなってきた…ということを示したものだ。
後ろばかりを振り返って生きているわけではないが、昭和の時代にできていたことが、何十年もあとの令和にはできなくなってしまった…というのは残念なことだ。
車庫などの敷地内へ私的な理由で立ち入ることも、最近は難しくなってきた。安全のことを考えれば、敷地内への立ち入りは極力避けた方が良い、というのは当然の話だが、昔は事前に連絡をせず、突然営業所へ行っても、中に入って撮影させてくれたものだった。
営業所の人も、「出入りするバスに気をつけてな」と言うくらいで、同行したりするわけではなく、良くも悪くも大らかな時代だった。
■約38年前の東急バス世田営業所
今回ご紹介する写真は、東京都世田谷区にある東急バス瀬田営業所の敷地内で撮影させてもらったものだ。
撮影時期は1986~87年頃、中学校の文化祭でバス営業所を紹介する展示を行うため、自宅の比較的近所にあった瀬田営業所を調べることに決め、営業所で撮影をさせてもらうことになった。
インターネットが無かったこの時代、管轄路線の詳しいデータなどを知るには、直接訪問をして調べるしか手段がなく、この時も車庫内の撮影が終わった後に、事務所で詳しい話を色々と聞かせてもらったのを記憶している。
営業係数などのデータも教えてもらい、多くの路線が赤字であったことにショックを受けたのを記憶している。
車庫の中の撮影は前述の通り、特に職員が同行するというものでもなく、よく周囲を確認して気を付けて撮影してという指示のみ。
現在であれば、万が一事故が発生した場合の責任の所在などがうるさく、おそらく簡単に許可が下りないかもしれない。
■その時にいた往年のバス車両
瀬田営業所は、基本的に三菱ふそうの車両が指定メーカーとして集中的に投入されており、瀬田=三菱という印象が強かった。
しかし1986年度に、いすゞキュービックのワンロマ車P-LV214Kが一挙に11台も投入され、渋11系統(グランド線)へ集中投入されて以降、他メーカーの車両もわずかに見られるようになった。
当時はまだ、バス窓の古い車両がギリギリ現役だった頃で、写真にもバス窓を装備したMR410が写っている。
1974年度に配属された車両で、撮影当時で10年以上が経過しており、車庫で休んでいる車両が多かったような印象がある。
当時の主力は、通称ブルドッグと呼ばれたK-MP117/118Kで、1977年度に導入された最初期の車両は、大型方向幕を装備していない点が特徴だった。
東急には、この小型方向幕を持つタイプはわずか4台しか導入されず、うち2台はトルコンATを装備した珍しい車両だった。瀬田に導入された車両は、通常のMT車だったと記憶している。
東急の冷房車導入は遅く、三菱の大型車では1983年度のブルドッグ最後の増備車で初めて導入され、瀬田には4台が配属された。
その後、非冷房だった車両にも後付けで冷房が取り付けられたが、屋根上ではなく床下に装備されたため、一見すると非冷房のように見えた。