フォルクスワーゲングループの古参かつ稼ぎ頭 「アウディ」
1932年、世界恐慌からくる経済危機に対応するため、ドイツの自動車メーカー4社「アウディ」「DKW」「ホルヒ」「ヴァンダラー」が合併し「アウトウニオン」を設立。自動車連合を意味するアウトウニオンは、メンバー会社がそれぞれ得意とするジャンルの自動車を販売し、競争力を確保していた。現在も続くアウディのシンボル「フォーシルバーリングス」は、この4社が由来になっている。
1958年、ドイツのダイムラーベンツはアウトウニオンの株式を取得して自社のグループ企業とした。そして1964年、今度はフォルクスワーゲンがダイムラーの持つアウトウニオン株の買い取りを開始し、翌年には完全な傘下に収めることになった。
アウトウニオンはフォルクスワーゲングループの一員となった後にアウディのブランド名を復活させ、さらに1985年には社名もアウディに変更している。この80年代には公道自動車向けの4WDシステムを開発して世界ラリー選手権(WRC)にも4WDのクワトロで参戦。女性初のWRC優勝ドライバーの誕生に貢献するなど大活躍を演じている。
近年のアウディは、スポーツカーやセダン、SUVなどのラインナップに加えて電気自動車のe-tronもリリース。次世代パワーユニット車の開発にも積極的な姿勢を見せている。高級車のラインナップも多いアウディの売り上げは、フォルクスワーゲングループ全体の中で占める割合も大きく、グループの強化に貢献している。
イタリアの猛牛はドイツの血で復活! 「ランボルギーニ」
農業用トラクターの製造・販売で成功したイタリアのランボルギーニ社がスーパースポーツカーの開発にのり出したのが1963年。熱心な自動車マニアであった創業者のフルッチオ・ランボルギーニは、市販のスポーツカーに満足できず、自らスポーツカーの開発をスタートさせた。
流れるようなボディラインを持つ350GTVでカーメーカーとしての第一歩を踏み出したランボルギーニは、その後も個性的なモデルを次々にリリース。我が国で70年代に巻き起こったスーパーカーブームでは、同社のミウラ、カウンタック、イオタなどが少年たちの“スター”になった。
スーパーカーのラインナップで華やかなイメージのあるランボルギーニだが、1974年のオイルショックが業績に影を落とし、さらにBMWとの提携が失敗に終わったこともあって1978年に破産状態に陥ってしまう。これで創業者の手を離れたランボルギーニは、その後オーナー企業が変わり、紆余曲折を経て1987年にはアメリカ・クライスラーの傘下に入った。
クライスラー時代はそれほど長く続かず、インドネシアの財閥グループへいったん売却された後、1999年にはアウディがランボルギーニの株式を取得する。以後は現在に至るまでアウディの子会社、つまりフォルクスワーゲングループのメンバーになっている。
アウディとの提携により、ランボルギーニのモデルには同社の技術が投入されることになった。有名な例が2003年に登場したV10エンジン搭載のスポーツカー・ガヤルドで、このモデルはアウディR8(初代)と共通のプラットフォームをもち、エンジンや駆動系も共有。イタリアの情熱にドイツの理性が注入されたガヤルドは、それまでのランボルギーニ製マシンの伝統を引き継ぎながら、より信頼性と汎用性の高いモデルに仕上げられた。ガヤルドの後継車ウラカンもまた、2代目R8の兄弟車だ。
フォルクスワーゲングループ紹介の第1回はここまで。第2回はスポーツカーメーカーのポルシェをはじめ、ブガッティやベントレーなど、フォルクスワーゲングループの個性豊かなメンバーたちを紹介していきたい。
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