今季絶好調のホンダPUだが、なぜマクラーレン時代は惨敗だったのか? アロンソのホンダ誹謗の真相を考える

■ホンダの失敗はマクラーレンと手を組んでしまったことにあった

 さらにフェラーリを捨ててマクラーレン・ホンダに移籍した2度のワールドチャンピオン、フェルナンド・アロンソもまた過去のマクラーレン、過去のホンダの栄光に惑わされ、3度目のチャンピオンを夢見てマクラーレンへと移籍した。“マクラーレン・ホンダ”という呪文の様な響きに勝利の夢を見て。

 しかしマクラーレンとホンダの提携はPUをめぐる機械的な提携だけでなく、政治的・経済的な要素も大きかった。マクラーレンがホンダに期待したのはマクラーレンの悪化してきた運営の建て直しの為の資金、すなわちホンダワークスになることでPUへの費用は全てホンダが担い、PUへの経済的負担の解消を目論んでいた。さらには、マクラーレンがホンダを搭載してあげるのだという上から目線での提携、すなわちPUだけでなくこれに関連する開発の多くをホンダ資金に依存していた。

 現実にはマクラーレンの経済状態は苦しく、ホンダとの提携はこれを救ったものの、既に経験不足のマネジメントによるリストラなども行われ、多くの経験者やベテランスタッフやシニアエンジニアなどがチームを離れていた。マクラーレンのエンジニアリングはこの時点で表向きとは違う内部事情で体力を落としていたのだ。

 新PUレギュレーションへのマシンは2014年のMP4/29からだが、この時点で既にマシン製作の基礎が崩れ、奇をてらった様なエアロやシステムを導入し失敗、そしてまた全く新しいアイデアを投入……と一貫性がなくなり、チームの戦力は下降線をたどった。当時のマクラーレンは、F1素人に近いホンダ、そして基礎を逸脱した上から目線のマクラーレンエンジニアリングに翻弄され、進歩もF1への理解も遅く、“ホンダならでは”の技術をも発揮できずに終わっている。挙句の果てにマクラーレンはホンダに責任をなすりつけ、次のステップへの踏み台にしてしまった。

 アロンソもマクラーレンの戦略に組して、ホンダPUが全て悪いかのごとく“車体は最高でチャンピオンカー、しかしホンダのPUはGP2並のパワーしか出ていない”と大袈裟に騒ぎ、ホンダへの誹謗を繰り返した。この言葉の裏にはきっとルノーとの話がまとまり、その後のルノーへの移籍なども画策していたのかもしれない。誰が見てもホンダのPUに責任があるように演出すれば、契約期間中の別離も、ルノーへの鞍替えも契約違反条項から逃れられる。そう考えると辻褄が合いそうだが……はたして真実は?

ホンダPUのパワー不足及び信頼性の低さと、できの悪いマクラーレンのシャシー。2015年の日本GPでは「GP2 エンジン」と不満を漏らしたアロンソ
ホンダPUのパワー不足及び信頼性の低さと、できの悪いマクラーレンのシャシー。2015年の日本GPでは「GP2 エンジン」と不満を漏らしたアロンソ

■マクラーレンの車体性能が悪いということが証明された

 しかし、その後ルノーに換装しても、マクラーレンの状況は良くはならなかった。逆にルノー化したことで、他のルノー搭載車と車体性能が比較され、非力な車体が暴露され、マクラーレンの面目は地に落ちてしまった。

先週末のメキシコGPで優勝したマックス・フェルスタッペン。今年のホンダPUはメルセデスを超えたと言われている
先週末のメキシコGPで優勝したマックス・フェルスタッペン。今年のホンダPUはメルセデスを超えたと言われている

 アロンソは最近“もっと早くにF1を去っていたら良かった”というニュアンスのコメントを出している。おそらくマクラーレン・ホンダ、そしてマクラーレン・ルノー時代の経験で自分のチャンピオンとしての価値が落ちてしまったことを後悔しての発言かもしれない。

 結局、車体製作側とPU製作側の強い信頼と強力で密なるコラボができなければ、近代F1を戦って行く事など出来ないのだ。

 その時点でのホンダエンジンはメルセデス、フェラーリにはまだ追いついてはいなかったが、その後のレッドブル軍団との信頼と協力があったからこそ、ホンダPUは進歩し今やメルセデスと同等か、それを上回るほどの強力なPUになった。そして現在、レッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペンはシリーズトップにいる。

TETSU ENTERPRISE CO, LTD.
TETSUO TSUGAWA

【画像ギャラリー】ホンダの暗黒時代!? サイズゼロコンセプトを謳っていたホンダPUを写真で解説(7枚)画像ギャラリー

津川哲夫
 1949年生まれ、東京都出身。1976年に日本初開催となった富士スピードウェイでのF1を観戦。そして、F1メカニックを志し、単身渡英。
 1978年にはサーティスのメカニックとなり、以後数々のチームを渡り歩いた。ベネトン在籍時代の1990年をもってF1メカニックを引退。日本人F1メカニックのパイオニアとして道を切り開いた。
 F1メカニック引退後は、F1ジャーナリストに転身。各種メディアを通じてF1の魅力を発信している。ブログ「哲じいの車輪くらぶ」、 YouTubeチャンネル「津川哲夫のF1グランプリボーイズ」などがある。
・ブログ「哲じいの車輪くらぶ」はこちら
・YouTubeチャンネル「津川哲夫のF1グランプリボーイズ」はこちら

新車不足で人気沸騰! 欲しい車を中古車でさがす ≫

最新号

S-FR開発プロジェクトが再始動! 土屋圭市さんがトヨタのネオクラを乗りつくす! GWのお得情報満載【ベストカー5月26日号】

S-FR開発プロジェクトが再始動! 土屋圭市さんがトヨタのネオクラを乗りつくす! GWのお得情報満載【ベストカー5月26日号】

不死鳥のごとく蘇る! トヨタS-FR開発計画は再開していた! ドリキンこそレジェンドの土屋圭市さんがトヨタのネオクラシックを一気試乗! GWをより楽しく過ごす情報も満載なベストカー5月26日号、堂々発売中!