何度も蘇る姿はまるで不死鳥? マツダの復活力の秘密を探る!

救世主となったデミオとアテンザ

何度も蘇る姿はまるで不死鳥? マツダの復活力の秘密を探る!
バブル崩壊による危機からマツダを救った初代デミオ(1996年)。シートがフルフラット化できるなど、実用性を高めた堅実な作りが受けてヒット車になった

 フォードグループの一員となったマツダが、経営再建の切り札として発売した新車がデミオとアテンザだった。

 1996年に販売が開始された初代デミオは、コンパクトカーサイズでありながらワゴンスタイルを採用することで、室内空間と荷室を確保し、使い勝手のよさに“全振り”した、ある種の潔さを感じさせるクルマとして登場。徹底的な実用性重視のコンセプトがバブル崩壊で緊縮傾向にあった世相にマッチして、市場にも受け入れられた。

 初代デミオのヒットもあって、1997年9月の中間決算では久々に営業利益が黒字となった。これでマツダはどうにか経営危機から脱出することに成功した。このため初代デミオは「マツダの救世主」や「マツダのカンフル剤」などと呼ばれた。

 こうした勢いに乗って2002年に登場したのがアテンザだ。自社だけでなく、フォードグループ内でのミドルクラスFF開発の中心となったマツダは、投資削減という厳しい状況にありつつも、それまで培った技術力を生かし、「ボルト以外はすべて一新」の思想で新世代モデルのアテンザを完成させた。

 現在にも続く「Zoom-Zoom」のフレーズが宣伝コピーに初採用されたアテンザもまた、好調なセールスを記録してマツダ復活を印象づけるとともに、新生マツダのけん引役となった。

リーマンショックとフォードからの離脱でまたしても危機に

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2007年登場の3代目デミオ(DE系)。先代までの小型ワゴンスタイルからコンパクトハッチバックモデルへと転換し、ヨーロッパ市場での販売拡大を狙った

 日本では「リーマンショック」と言われる世界的な金融危機が起こったのは2008年。アメリカの住宅ローン問題に端を発するこの危機は自動車業界にも深刻な影響を及ぼした。マツダの親会社となっていたフォードも経営が悪化したため、保有するマツダの一部株式を売却。この後もフォードは段階的にマツダ株を手放し、両社の資本提携は2015年に完全に解消されている。

 もちろんマツダにとってもリーマンショックは大きな逆風になった。加えて2011年の東日本大震災などの影響もあり、マツダの決算は2009~2012年まで4年連続赤字に転じてしまい、またしても存続の危機に立たされた。

スカイアクティブで成し遂げた奇跡のV字回復

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エンジンだけでなく、シャシーやボディ、トランスミッションにもスカイアクティブ・テクノロジーを導入したCX-5(2015年)は、マツダV字回復の立役者だ

 経営危機に直面しながら、さまざまな方法で資金を調達したマツダは、2010年に新世代技術の「SKYACTIV(スカイアクティブ)・テクノロジー」を発表した。エンジン・トランスミッション・プラットフォームを包括する次世代技術のスカイアクティブは、それまでになかった観点からクルマ全体を開発するもので、この思想に沿ったエンジンやプラットフォームなどにその名が与えられている。

 まずは2011年にSKYACTIV-Gエンジンを搭載したデミオ(3代目)をリリースし、2015年にはスカイアクティブ・テクノロジーを全面的にとり入れたCX-5が登場。このCX-5は、日本国内はもとより世界的なヒット車となり、2015年までに世界累計生産台数100万台を記録している。

 スカイアクティブは、実際にクルマの性能を高めるだけでなく、復活にかけるマツダの象徴としても活用され、ブランドイメージの向上に多大なる貢献を果たした。こうしたマツダの攻めの姿勢はほかのモデルでも生かされ、2013年になると業績も一気に回復。2018年まで5年連続で販売台数の更新を達成している。

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