■戦後のGHQによる旧財閥解体と三菱ふそうトラック・バスの成り立ち
戦後、米国による焦土作戦の影響は凄まじく、都市部の交通機関は全国的に壊滅状態に近かった。国民の移動手段は圧倒的に不足し、戦禍を免れた車両や鉄道に市民が群がったといわれている。
この状況をみた各メーカーの技術者たちはGHQとの交渉を通じ(軍需品である自動車や飛行機、戦艦などは生産が禁止されていた)、物資が不足するなかでアイディアを募り民生用自動車を製造していく。
三菱をふくめた各メーカーはこうした時期に、さまざま要因で動かせなくなったバスを、セミトレーラやフルトレーラに改造して市民の足として稼働させている。
いっぽう日本に進駐したGHQは、国力を殺ぐことを目的に、戦時中に軍需品生産を担った旧財閥の解体を占領政策として進めていく。
国家にも匹敵する巨大なコンツェルンであった、三菱グループも当然この煽りを食らい、三菱重工業は1950年に、東日本重工業、中日本重工業、西日本重工業として、地域による3分割が行なわれた。
分割当初「三菱」の名は使用が禁止されたが、1952年に許可さたことで東日本は三菱日本重工業、中日本は新三菱重工業、西日本は三菱造船所に変更。そして、1964年に分割された3社が合併し再び三菱重工業となり、1970年には自動車部門が独立して三菱自動車工業が設立された。
1990年代に入るとバブル景気が崩壊し、長きに及ぶ平成不況に没入。販売低迷加え、2000年代に入ると組織的なリコール隠しの発覚、ダイムラー・クライスラー(現ダイムラーAG)との提携など、それまで乗用車から中・大型商用車まで一貫して生産してきた三菱自動車工業は大きな変革を余儀なくされる。
三菱は2001年にはトラック・バス部門における戦略的提携パートナーを、ABボルボからダイムラー・クライスラーに変更。そして2003年にダイムラー・クライスラーが筆頭株主となり、三菱ふそうトラック・バスが設立されたのである。
このときの出資比率はダイムラー・クライスラー43%、三菱自動車工業42%、三菱グループ各社15%であったが、再び2004年に三菱ふそうのリコール隠しが表面化(2000年にもトラック・バス部門を含めた三菱自動車工業でリコール隠しが発覚している)。
2005年にはダイムラーへの賠償責任から、三菱自動車工業が持つ三菱ふそう全株式が譲渡され、85%の議決権をダイムラーが取得、ダイムラーの連結子会社に編入されることになった。
そして三菱ふそうは現在、ダイムラーが89.29%、三菱グループ各社で10.71%の株式を保有する、ダイムラートラックグループの一員となっている。
■戦後から高度経済成長期を支えた三菱自動車工業のトラック・バス
ハナシは前後してしまうが、三菱では戦後~高度経済成長期までどのようなトラック・バスが製造されてきたのか見ていこう。
戦後まもなく、民需へ転換することを余儀なくされた三菱は、各製作所でトラック・バスの生産が試みられていた。
京都製作所では、かつて川崎製作所が開発したYB40型の図面を参考に、1946年に4トン積みKT1型トラック、同年、東京製作所では戦前に試作したCT20型を参考に、7トン積みT47型トラックが試作されている。
ただ、KT1型は改良されKT2型も生産されたが1949年に生産中止、T47型においては量産されることはなかったとされる。
いっぽう川崎製作所では、戦後のブランニューモデル第一号となるB1型の試作を1946年にスタート。まずB1型バスがつくられ、ガソリンエンジンの7トン積みB1型トラックが1948年に完成した。また1949年には改良モデルのB2型も発売。
これらのトラックは現在のようなラダーフレーム構造は持ち合わせず、本格的にトラック製造が行なわれるようになる1950年以降になると他社との競争が激化し、専用フレームの開発が行なわれる。
そしてラダーフレーム構造の8トン積みT31型トラックを1951年に完成させたのである(ショートホイールベースのT32型も後に追加)。またこれと別に東京製作所で同年、6×6の装輪駆動の特装トラック、W11型(4トン積み)も製作されている。
主力であるT31型は、1955年にオールスチールキャブの8トン積みT33型へとモデルチェンジし、日本初のエアサスを採用したAT33型、1960年なると改良型のT330型と発展。
T330型は後にモデルチェンジやランナップの拡充が行なわれるが、60年代の早いうちからボンネット型は次第に売れなくなり、時代は今日のキャブ型であるキャブオーバー型へシフトしていく。
三菱における初の大型キャブオーバートラックは、1959年登場したT380型である。そのわずか3ヶ月後には、ターボチャージャー付き220PSエンジンを搭載した11.5トン積みキャブオーバートラックT390型も登場している。
いっぽう中型のキャブオーバートラックは1964年に登場したT620型、小型は1963年に登場したT720型、初代キャンターがある。
また、日本初の小型バス、ローザ(車名はキャンターと同じく今日まで受け継がれている)は1960年に登場している。
日本の高度経済成長を支えた大型トラックのいわば「Tシリーズ」は、60年代後半になると高速道路の建設とともに大量輸送という時代のニーズにあわせ、新型V6エンジンを搭載した前2軸車(T910型)や、セミトレーラ・フルトレーラシャシーなど次々に投入していった。
1973年のオイルショックをきっかけに終焉を迎えた日本の高度経済成長だが、奇しくも同年、大型のモデルチェンジが行なわれ、TシリーズはFシリーズへと世代交代したのである。
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