ハイテク感が満載なのもぶっちゃけどうなの!?
また近年見逃せないのは液晶パネル偏重の傾向だ。センターディスプレイの大型化はトレンドであり、操作系を物理スイッチからタッチパネルに置き換えることで“未来感”を演出している。だがその多くが、ユーザビリティの観点から見れば退化していると言わざるを得ない。
走行中、エアコンの温度を変えるために2ステップ、3ステップと画面をタップしなければならない設計は、明らかにドライバーの集中力を奪う。物理スイッチならば指先の感覚だけで操作できるものを、目線をそらして画面を見つめる必要があるというのは、本質的に“走る道具”としてどうなのか。
タッチパネルの操作感も、どうしても“廉価なスマートフォン”としか思えない。ボタンの応答性が悪かったり、スクロールが引っかかったりするだけで、ユーザーのイライラは募る。これが毎日の通勤や移動で繰り返されるのだとすれば、クルマは便利な道具ではなく、“余計なストレスの発生源”になってしまう。そもそもスマートフォンに質感や造形美を感じ取ることもないだろう。
今、あらためて問いたいのは、「人にとって気持ちの良い空間とは何か」という設計思想である。それは決して、見た目が派手であったり、機能が詰め込まれていたりすることではない。
手で触れたときの温もり、スイッチを押したときのカチリという確かなクリック感、シートに沈み込んだときの身体の包まれ方、それらを走りながら感じる時の満足感。そうした“走りながら触れる内装学”が、走行性と共に今求められている。
E38のインテリアを今も語り継いでいきたいのは、その時代のBMWが、こうした“人間中心設計”を真摯に追求していたからにほかならない。内装材ひとつとっても、バッファローレザーという素材にこだわり、仕立てには熟練の手が加えられていた。それは、触れた瞬間に感じられる“品質の厚み”となって現れていた。
自動車の電動化や自動運転技術が急速に進む今こそ、インテリアにおいては逆に“アナログの豊かさ”が再評価されるべきだろう。手で握る、目で見つめる、身体で感じる。そのすべてが一台のクルマに愛着を持たせる鍵となり得るのだ。
デジタル時計は部屋に置いてあれば便利だが、アナログ時計のような温もりと愛着は得られない。内装にもう少し“人の手”と“思想”を取り戻すことで、日本車はさらに進化できるはずだ。


コメント
コメントの使い方同じMAZDA本革内装でも、DJデミオ初期型のダッシュボードやニーパッドは柔らかく、機能的にも素晴らしかった
しかし中期以降はコストダウン、3やMX-30も同様に内装では初期デミオと比べ「あれ?」と「なぜ?」は正直あった。
試乗車では色合いや使用少なさもあり、抜群に質感高く感じるMAZDAの内装、
実際に買って所有してみて初めてわかる事もあるのは同意します。ただ、手放すかは別の話