副社長の中で唯一違ったのが、章男さんでした
CEはトヨタでは「製品の社長」と呼ばれるが、実はそうではなかったと言うこと?
「結果として自分の思い通りにクルマを開発することができましたが、副社長が出る会議でOKが出ないとGOがでないので、各々に“根回し”をしなければならないわけです。全部を抑えて『完璧!!』と思っていても、会議でひっくり返されてしまうことも……。言葉を選ばずに言えば『裏切られた感満載』ですね」
要するに、当時のトヨタはユーザーではなく、副社長に向けたクルマづくりをしていた……と言うことになる。
「それぞれの領域の目標あり、それを到達したら副社長が喜ぶと言う流れでした。僕らは『こんなお客さんにクルマ届けたい!!』と言う話は聞いてはもらえるものの、意思決定には何も使われていなかった。言葉を濁さずに言えば『何がお客様第一だ!!』と言うのが、『右肩上がりの10年』と呼ばれた2000年前半代のクルマづくりでした」。
その結果、一人のトップ(=副社長)に対してNoと言えない組織になってしまったのだろう。となると、ネゴシエーションが上手な人、自分のボスに対する忠誠心が強い人が偉くなっていく構図が見える。中嶋氏はどうだったのだろうか?
「僕は『出世したくなかった?』と言ったら嘘になりますが、その理由は『自分の思い通りのクルマ作り』や『自分の思い通りの組織にしたい』と言う想いが強かった。なので、現状を否定することは他の人より多く、恐らく上からすれば可愛くない部下だったと思います。ただ、副社長の中で唯一違ったのが、章男さんでした」。
ポリシーを曲げない人もたくさんいた
章男さんとの出会いはいつだったのだろうか? 何となく昔から繋がりがあったように感じるが……。
「iQのチーフエンジニアの時代です。開発初期に国内営業が『こんなの売れない』と猛反対されました。そんな中、章男さんがフラっとやって来て『乗せてほしい』と。一通り説明をして本社のテストコースで乗ってもらいました。何も喋らずにずっと走っていましたが、試乗後に僕の名札を見て、『君、中嶋君っていうの? えーもんを作ったものが勝ちだぞ』と一言だけ……。その後確実に変わったのは、国内営業がこのプロジェクトに対して前向きになったことでした」
ちなみに中嶋氏は章男さんに“あの時の話”の答えは聞いていないのだろうか?
「聞けませんよ(笑)。ただ、他の話の時に『技術屋は内部の抗争や上の意見など気にせず、とにかく技術で勝負しろ。』と言っていたので、僕はエールだったと信じています。その後、章男さんは役員の数を減らし、普通に“会話”できる環境にしてくれましたが、それでもまだ機能軸は残っています。僕もまだ『白い巨塔』だと思っています」
中嶋氏は今、技術のトップと言う役割である。若い時に嫌な経験/苦労をたくさんしてきたからこそ、白い巨塔を“壊したい”と思う所はあるのだろうか?
「実はとても悩ましい所ですね。現在AISIN社長の吉田(守孝)さんがCE時代に僕は新車進行管理部にいましたが、その時に何度かケンカをしたことがあります。その内容は今振り返ると結構ムチャクチャでしたが、その一方で『この人、上司の言うこと聞かないんだ』と。中には副社長の指示に対して『御意』と飲んでポリシーを曲げる人もたくさんいましたが、それでもポリシーを曲げない人もたくさんいたと言う事実です」
「僕はそれは白い巨塔のいい部分だと思っています。僕が今一番嫌なのは、何か相談を受けて『こうやったらどう?』、『僕だったらこうするよね』みたいなアイディアを伝えたのに、後日現場行くと『副社長命令』になってること。『コイツはきっと僕の名前を使って仕事を徹底させるため使っている、これはマズイ』と。逆に僕の言ったことに対して、できあがったクルマが全然違うと『馬鹿野郎!!』と思いながらも、どこかで苦笑いしながら『コイツも大人になったな』とホッとしている自分がいます」


コメント
コメントの使い方中嶋さんが今の「いい感じ」のトヨタの枢軸のようですね。章男さんやこの人がいなくなったら、今後、トヨタも日産のようになってしまうのだろうか。