1988年9月にリリースされ、井上陽水氏のCMや「くうねるあそぶ」のキャッチコピーでも話題を集めて一躍時のクルマとなった初代日産 セフィーロ。6気筒エンジンを搭載するFRレイアウトの4ドアモデルということで、ローレルやスカイラインと兄弟車関係にあったモデルであったのだが、なぜここまで話題を集めることになったのだろうか。
文:小鮒康一/画像:日産
【画像ギャラリー】キャッチコピーは「くうねるあそぶ」だけじゃない! クルマに必要なのはドキドキ、ワクワクですよ! 若い大人の心をくすぐった初代セフィーロ!(14枚)画像ギャラリーマークII3兄弟に対抗したセフィーロ、ローレル、スカイライン
現在は同一メーカーながら販売チャンネルを分け、取り扱い車種に違いを与えて差別化を図るという販売手法はすっかり影を潜め、基本コンポーネンツは共通ながら異なる内外装を備えた“兄弟車“というのもほとんど見られなくなってしまった。
メーカーとしても車種やグレード、仕様を絞ることでコストを抑えることができるし、ユーザーとしても悩む範囲が狭まることでクルマ選びをしやすくなるというメリットがあるが、クルマ好きとしては多くの仕様から悩む楽しみがなくなってしまったとも言えるだろう。
そんな兄弟車の中でも最も高い人気を集めたのがマークII3兄弟と呼ばれる、マークII、チェイサー、クレスタのトヨタのミドルクラスモデルであったことは異論ある人もいないハズ。
そこに対抗しようと日産がラインナップしたのが、1988年4月に登場した6代目ローレル、同年9月に登場した初代セフィーロ、そして1989年5月に登場した8代目スカイラインだった。
「個性」が問われる時代だったからこそ……
ラグジュアリーなローレル、スポーティなスカイラインに対し、セフィーロはスタイリッシュさを打ち出した。他人と同じのものはイヤというこだわりを持った30代前半の男性ユーザーをターゲットとしており、特徴的なプロジェクターヘッドライトや横一文字のテールランプなどを備えていた。
さらにエンジン、ミッション、足回り、内装生地、内装色、ボディカラーを自分好みに組み合わせることができる(一部制限あり)セミオーダープランの「セフィーロ・コーディネーション」もそういったターゲットユーザーに刺さるポイントとなっていたと言えるだろう。
残念ながらセフィーロ・コーディネーションは前期型のみで終了し、後期型には大型バンパーの採用や2.5Lエンジンの追加などで3ナンバー車となるなどやや迷走感もあったが、話題を集め、一時代を築いたモデルであることは間違いない。
















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