ただのギミックじゃなかった! GTOといえば可変スポイラー!
しかしN1規則では純正部品以外は使用できない。三菱はこの問題を解決するため、AP製6ポッドシステムを「純正オプション扱いの部品番号を付与して販売する」という大胆な方法を取ったのだ。これにより車検適合性を確保しつつブレーキ性能を飛躍的に高めることができた。
それでもローター温度は600℃を超えることがあり、軽量レース車両のような絶対的制動力には及ばなかったが、GTOの完走率とスティント持続性能は大きく改善された。
GTOに標準搭載されていたフロント可変アンダースポイラーとリア電動スポイラーは、当初高速走行時のリフト(CL値)軽減を目的とした装備であった。これを競技で積極的に活用する方向に振り切る提案をした。
フロントスポイラーは常時最大ダウンフォース状態とし、リアスポイラーは高速走行時にフラット、ブレーキ入力で跳ね上がるように制御プログラムを書き換えたのだ。
ヘビー級ファイターがGT-Rとコーナリング勝負してた!?
これは現代F1のDRS(ドラッグ リダクション システム:Drag Reduction System)に類似する発想であり、空力的効率と制動安定性の両立を狙ったもので、当時としては極めて先進的。ライバルのGT-R陣営も全く気づいていなかったようだ。標準装備の電気アクチュエーターを使用し、ブレーキライトに連動するように制御信号のみを最適化したため規則には抵触しなかったのだ。
こうした空力、制動、接地性改善により、GTOの潜在性能は大幅に引き出され、コーナリング区間ではGT-Rを上回るセクタータイムを記録する場面も見られた。特に1995〜1996年の鈴鹿500kmでは、その成果が顕著となった。
1995年の鈴鹿では予選でフロントローを獲得したものの、フォーメーションラップ突入時に電装部品の損傷によりエンジンが始動せず、決勝出走を断念する最悪の事態となってしまった。翌1996年の鈴鹿では序盤から中盤までトップを独走し、2位以下のGT-R勢に30秒以上の差を築いたのだが、ドライバー交代直前にクラッチ破損が発生しリタイアとなってしまう。
最高位総合2位で、総合優勝という成績には辿り着けなかったが、GTOがGT-R勢と互角以上に戦える速度を持つことは明確に証明されたのだ。
結構努力の結晶だったPUMA GTO
もともとGTOは車両重量に適合させるため、パワーステアリングには三菱中型トラック用の高耐久部品が流用され、1トン超のフロント荷重に対してもステアリング応答性が確保された。
さらに、より大型の固定式リアウイングを純正オプションとして登録する案も進められ、実戦投入される。ジャッキー・チェン氏が主役の映画『デッドヒート』のメインカーとして登場し、PUMA GTOも撮影に参画している。
そして、さらなる性能向上を求め、最後に提案したのはフロントLSDの導入だった。GTOは4WDながらフロントデフはオープンデフで、タイトコーナーでは内輪がリフトして空転し、トラクションに難があった。
しかし横置きパワートレーンの構造上、ゲトラグ製トランスミッションにはLSDを組み込む余地がなく、開発は断念されてしまう。
GT-R勢に対抗するべく排気量を下げる検討も同時に行ったが、400ccも引き下げるのは販売面的に妥当性が認められず、こうしてGTOのN1耐久参戦は1996年限りで終了してしまった。
【画像ギャラリー】緑色がちょっと懐かしい!! 直線番長っていわれてたけどGT-Rとコーナリング勝負ができた!? 他カテゴリのマシンとも張り合えたPUMA GTOがカッコよすぎる……!(9枚)画像ギャラリー











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